支援型の思春期子育て実践中のいちりつです。

 

前回のブックレビュー『「利他」とは何か』

その1の続きです。

 

 

 



 

第1章は、伊藤亜紗さんの担当の章です。

 

彼女は、障害のある人がどのように世界を認識し、

その体をどのように使いこなすのかを

調査研修してきた過程で、

利他的な精神や行動がむしろ壁になり、

困っている人のためにという思いが

結果として全く本人のためになっていない

という場面にたくさん遭遇してきたといいます。

 

全盲になって10年の女性が、

「障害者を演じなきゃいけない窮屈さがある」

と感じているエピソードは、

なかなか衝撃でした。

 

その結果、「利他ぎらい」にまでなり、 

それゆえ、正面から「利他」のことを

考えてみたいという動機から

研究が始まったそうです。

 

まず最初に、

「利他」をめぐる近年の主要な動向を整理しつつ、

「利他」の負の側面や危うさについて語られます。

ジャック・アタリが主張する

他者のためにやった行為は巡り巡って

自分に返ってくるから利他的に生きるべきとする

「合理的利他主義」

 

哲学者ピーターー・シンガーの理論を柱とし、

英語圏の若いエリート層に広がっている、

最大多数の最大幸福という功利主義の考え方を

ベースに、数値をもとに論理的に判断して

より有利な選択をする

「効果的利他主義」

 

それらの利他主義に潜む問題や

「共感」をベースにした「利他」が内包する問題

=共感から利他が生まれるという発想は、

共感を得られないと助けてもらえないという

プレッシャーにつながるという問題

について指摘します。

さらに、

昨今の地球規模の危機は共感では救えない、

なぜなら、人間の想像力ではとらえきれない

量と複雑さで、人々の活動が相互に、

未来にわたって影響し合っているからという

話には、妙に納得しました。

 

山岸俊男さんの『安心社会から信頼社会へ』

を引用した、安心と信頼についての

話もかなり興味深かったです。

 

以下、そのまま引用します。

 

「信頼とは、相手が想定外の行動をとるかもしれないこと、それによって自分が不利益を被るかもしれないことを前提としています。(中略)つまり信頼するとき、人は相手の自律性を尊重し、支配するのではなくゆだねているのです。これがないと、ついつい自分の価値観を押しつけてしまい、結果的に相手のためにならない、というすれ違いが起こる。相手の力を信じることは、利他にとって絶対的に必要なことです。」

「利他の大原則は、「自分の行為の結果はコントロールできない」ということなのではないかと思います。やってみて、相手が実際にどう思うかは分からない。分からないけど、それでもやってみる。この不確実性を意識していない利他は、押しつけであり、ひどい場合は暴力になります。」

と続きます。


さらに、「こちらには見えていない部分が

この人にはあるんだ」という距離と敬意を

もって他者を気遣うことをケアと定義し、

 

「利他」の本質は、他者をケアすることだ

と論じます。

 

つまり、人に対する確かな信頼をもったうえで、

他者の潜在的な可能性に耳を傾け、

自分の予想ではなく、

予想外の反応を受け入れる「余白」が必要、

相手のために何かしているときであっても、

自分でたてた計画に固執せず、

常に相手が入り込める余白を持っておくこと、

行為の結果を押しつけるのではなく、

どのような結果になるかは信頼して任せる、

自分自身は「うつわ」になることが大切だ

と結論づけます。

 

ここまでが1章。研究者の文章ですが、

すごくわかりやすい文体なので

スルスルと読めました。

以下、第2章から第5章までは、

ざっくり短くまとめます。


特に、第3章から第5章は、

難解で、読み応えたっぷりでした。

おそらく、別の本として存在していたら

読むことはなかったと思うので、

多様な視点との出会いに感謝です。

第2章は政治学者の中島岳志さんの担当

「贈与」や「他力」といった

利他の根幹にかかわる問題について 

贈与には相手に負債の感覚を植えつけ、

支配することにつながる残酷な面があり、

思わずやってしまうという行為にこそ、

利他が宿るといった内容。

第3章は、随筆家の若松英輔さんの担当

柳宗悦の文章を通して「民藝」に宿る美

について考察し、

人間の意思を超えたものによって

促されるときそこに利他が生まれるといった内容。

第4章は、哲学者の國分巧一郎さん担当

中動態(⇔能動態、古代ギリシャでは受動態は中動態の一部だったらしい)と絡めて、

古代ギリシアには「意志」という概念が

なかったということから、

自分の行為は全て自分の意志で行ったものであり、

そこに自己責任が生じるとする

近代の考え方に疑問を呈し、

他者から押しつけられるような責任ではなく、

困っている人を前に思わず「応答」してしまう 

責任のあり方の中に

「利他」の可能性があるといった内容。


第5章は、小説家の磯崎憲一郎さん担当

小説家の立場から、

さまざまな小説家の創作過程を取り上げ、

「利他」の本質は、意図的な行為ではなく、

人知を超えたところで自然に宿るものである

といったことにつなげる内容。

 

すべてに共通しているのは、

見返りを求める「利他」は、

潜在的に他者をコントロールすることに

つながるリスクがあり、

真の「利他」とは、

意思や意志、意図を越えたところに、

オートマティカルに生ずる行為である、

ということでしょうか。

伊藤さんが、行為の結果を押しつけるのではなく、

相手を信頼して任せる余白を作る、

つまり、「うつわ」になることが重要と

第1章で述べていましたが、

「うつわ」は5章全てにわたるキーワード

でもありました。

長々と書いてきましたが、

けっきょくのところ、

わたしの結論は、

「うつわの大きい人」であろう、
というところに、

落ち着くかなーと思います( ´艸`) 

 

こんだけ長々と書いて、

そこ―って感じですけどてへぺろ

 

そして、大きなうつわであるためには、

相手の言葉や反応に対して、

真摯に耳を傾け、「聴く」姿勢が

必要不可欠であるというところに、

コーチを生業としている身としては、

やっぱり「聴く」が大切だよね!

って、なんだかうれしくなったのでした照れ