男女が平等に活躍できる社会にするには、男性が中心となって成立している現在の働き方を変える必要がある。ココ・シャネルの服が女性を開放したのなら、ファッションの力で今の男性を今のような働き方から解放することができるのではないか。


と昨日は思ったが、今日ふと考える。シャネルの服は本当に女性を開放したのか。(厳密にはもう少し近代の、女性が会社にパンツスーツを着ていけるようになった時が女性の服飾の開放だったと言えるのかもしれないが、いずれにしても)それはただ単に、それまで男女の体型が本来本質的にはそれほど大きな差異を持っていないにもかかわらず女性のみが制限されていた服装(男性にのみ許されていた服装)が解禁となった、もっと言えば、男性と同等の服装が許されるようになっただけではないのか。その証拠に、正装はひざ丈のタイトシルエットスカート、ストッキングが必須、コルセットとは言わないまでもノーブラはもってのほか、などのモードが今なお厳格に存在している。これは上品であるかも知れないが、全く快適な服装とは言い難い。

開放ではなく、男性と同等になっただけであると考える。つまりことの元凶はスーツだ、と仮定する。(私服刑事や創作業界の人たちがスーツでなくても許されるのは、それ以外のインフラ業界の制服が厳にスーツに規定されていることによって相対的に許されているだけ)どうして現代社会の労働服はあのようなスーツになったのか。そのルーツをたどり、正体を暴き、開放を模索する。というわけで主として男性の服飾文化史を調べようと思って本屋さんに行ったら、『男の歴史』という論文集を発見、購入した。初版は1997年、主としてドイツの男性性史について論述しようという意図で編まれているが、日本のスーツ文化はそもそも西洋からの流入だから、参考とするうえで問題ない。