「#忘年会スルー」は日本社会への抗議? こんなに共感を集めるのはなぜか (12/13(金) 11:15配信)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191213-00014882-toushin-bus_all&p=2

「職場の忘年会は時代遅れ?」
https://news.biglobe.ne.jp/topics/trend/1219/63365.html

 

21日土曜日に実武道会館忘年会参加してきました。普段お世話になっている我孫子市長をはじめ地元の議員さんも来賓として来られました。余興に芸人さんも来られて楽しいときを過ごしました。

 

さて、忘年会といえば、今年の流行語大賞が「one team」に対し、ネット上で流行しつつある言葉は「#忘年会スルー」であり、随分と相反した考え方が同時に流行したものだと考えさせられます。

 

もちろん私は「#スルー」しません( ̄^ ̄)ゞ

決して無理しているのではなく、普段それぞれの支部で指導されている支部長同士が公式試合以外で顔を合わせることができるので、むしろ楽しみです。

さて、世間で話題になっている「#忘年会スルー」に話を戻します。

私がまだ若かりし頃(今でも若いつもりですが)、「新人類」という言葉が世間を賑わせ、今までの価値観が通じない若い世代のことを揶揄する言葉として1986年には流行語大賞にも選ばれました。

その頃から若い世代を中心に忘年会や職場での飲み会に消極的になったと思います。

時代はバブル経済からその衰退期。終身雇用、年功序列といった「日本村」的制度が崩壊していく時期と重なります。

職場からいつ解雇されるかわからない状況で、昔ながらの忠誠心を求められても困るという本音が表に現れてきたものでしょう。

時を経て現在もその状況は変わらず、いや、もっとひどくなって来ており、人件費カットや雇用削減、リストラをすることが、あたかも経営者の能力といわんばかりの社会です。

本当に能力のある経営者なら長期の展望を踏まえどの程度の規模で雇用するのか、その人たちが安心して業務に専念するためにはどのような戦略を立てればよいのかを考えているはずです。

リストラというのは、経営側の長期戦略の失敗を従業員に責任転嫁する最も無能な人間のやり方です。

そんな現状を今の我々は苦々しく思いながらも受け入れざるを得ない現実として諦めているだけです。

特に今年は消費増税がなされた一方で、特に収入が増えるわけでもなく、無駄遣いなどできるはずもない。
真っ先に削られるのは飲み代というのは悲しい現実です。

記事によると、上司がおごるという状況が、年配者の忘年会離れを生んでいるという話もありますが、私から言わせれば、社長、役員以外は従業員ですよ。忘年会の意味を考えれば、会社が飲み代を持つのが筋です。

会社から従業員(正社員、非正社員、パートなどすべての人たち)に対する慰労として「年末感謝祭」として普段個人的にはなかなか手の届かない上等なものを提供してあげればいいと思います。

たとえば、可愛いネズミのいるテーマパークのレストランを貸しきってそこのキャラクターたちと一緒に家族も一緒に食事ができたら「#スルー」しませんよ。

上司の愚痴も多少は我慢して聞いてあげるでしょう。

業績が思わしくなく、そんな余裕がない場合は、もちろん無理してやる必要もなく、新年の目標として「今年は業績を伸ばして、年末感謝祭やるぞ!」でいいと思います。

その昔、忘年会を楽しみにしていた人たちは、戦後間もない貧しい暮らしの中で普段飲まずに我慢しているお酒を会社のおごりで飲むことができたからです。安い2級酒や今とは比べ物にならないくらい匂いのきつい芋焼酎くらいで我慢していたお父さんたちにとって、ビールが思い切り飲めるというのは夢のような話でした。

何もいわなくても会社に対して忠誠心は沸きます。

今は時代がまったく違います。
個人的な価値観もさまざまです。

ただ、「#忘年会スルー」の背景には、それだけではなく、会社が従業員を守るという昔ながらの意気込みが消えうせ、従業員に対してだけ一方的に忠誠心を求める身勝手な経営者が増えたこともあるのではないかと思います。