先だって、めでたいんだかめでたくないんだかよくわからないが、ついに生誕70周年という瞬間に到達してしまった。思い起こせば、過去何度か死にかけた記憶があるが、よくここまで来れたと自分でもやや驚いている。

 そんなに頑健に生まれ育ったわけでもなく、スポーツが特意といったこともなく、またさほど健康に留意して生きてきたというわけでもない、どちらかというと不健全な人間の部類だったからである。

 この世に生きとし生けるものすべてに言えることであるが、生きるプロセスのうちスタートとエンドだけは、己の努力ではどうにもならない天命のものである。親を選んで生まれてくることはできないし、最後に死ぬことを避けることもできない。人生の途中をどんなに頑張って努力して生き抜き、成功しようが失敗しようが遅かれ早かれ、最後には例外なく死が訪れる。

 拙者は宗教にはとんと無縁で仏教徒ではないが、ここにきて「なぜ生きるのか」ということを思うようになってきた。「どう生きるか」という生き方については色んな高名な諸先輩方が述べておられるが、どうせ死んじゃうのに何で生きるのか?という素朴な疑問の答えはどこを探しても無い。おそらく仏教を極めて悟りの境地に立たなければその答えは見つからないのかもしれない。

まぁ、いずれにしても生きるのに残された時間がどのくらいあるのか、予想だにできないが、死は突然襲い掛かってくるのだろう。

 若いときに比べれば死に対する恐怖心はやや薄れてきたように思うが、まだまだ死ぬのは怖いでござる。

 しかし怖かろうが何だろうが、或る日突然、死は必ず襲ってくるのだ。そしてそれは不可避なのである。