ジェイン・エア(その2) | 人でなしの恋                  うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと

人でなしの恋                  うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと

「人間に恋はできなくとも人形には恋が出来る 人間はうつし世の影、人形こそ永遠の生物」
 美雨のハートを鷲掴みにした可憐なフィギュアをひたすら愛でる個人的な日記・・・

 今回まじめに文庫の最後にある「解説」を読んだり、研究書を読んだりしたおかげで今まで気がつかなかったことや、作品の位置づけが私なりに少し理解できたと思う。
英国初のフェニミズム小説という評価があることも(女性も男性と同様活躍したいと望んでいる!)、階級社会への批判(ジェインがロチェスター氏に魂は「平等」であると堂々ということが当時の社会からみれば考えられない発言である)を読み取ることができるということも改めて気づかされた。
以前はストーリーのロマンチックな恋愛面ばかりに眼がいって(お金もなくブスでスタイルもよくない女の子のシンデレラストーリーだもの)、ファザコンの私はロチェスター氏のちょいワルおやじぶりにぞっこんで、彼の欺瞞とずるさ、自己中心的な愛情を見逃していた。自分の不幸を哀れな狂妻のせいにして責任を押し付け、世間知らずの女の子にウソをつき、あやうく愛人にしてしまうところだった。救いを神に求めず、神を、社会を欺いて、愛するものを裏切る形をとってまでして自分が幸せになろうとした傲慢さ、卑怯さ。この時点では、彼は自分を愛していたのであってジェインを愛していたのではない。
こう考えて初めて、その後ロチェスター氏が狂妻の放火で館を失い、片手を失い、失明までするという大変な不幸の意味もわかってくる。この不幸はストーリーをドラマチックにするためのもの、ジェインの崇高な愛を際立たせるための効果なのだと以前は思っていたのだが、そうではなく、ロチェスター氏がその自己中心さと傲慢さに気づき、真に謙虚になることが人を愛する原点だと気づくために必要なものだったのだと思う。いろいろなものを失って、一人ではいかなる意味でも人は生きられないことを実感して初めて、人を愛することができるようになる。神の前で謙虚になることができる。