【垂水駅からの参加者5名 背景は明石大橋】

 

 

 神戸交流会定例の行事、ウオーキングが、2021年7月21日午前、梅雨が明けて夏到来の好天の中、JR垂水駅から舞子公園内の孫文記念館まで、朝9時に垂水駅に集合して、斎木会長、藤波副会長、藤本純子さんとその友人女性、天野の5名で、孫文記念館の前に植えられたリュウゼツランの大きく伸びた花芽を見ることも目的に加えてスタートしました。

 

 

 ウオーキングは、垂水駅から国道2号線の南の植え込みの中を、斎木会長の豊富な樹木の知識に感心させられながら会話を交わしつつ進み、疲れも見えない間に目的地、孫文記念館に到着、そこで交流会メンバー後藤みなみさんが合流されました。

 後藤さんのご手配で、この記念館を建てた華僑、呉錦堂氏、またその招待に応じて度々神戸にも来訪した中華民国スタート時の大統領、孫文氏の活動を解説頂き、11時に解散しました。

 

 

 

 この記念堂は1915年に竣工、市民には六角堂と呼ばれていますが実は八角、構造は木骨、コンクリートブロックでカバーしているとお聞きしました。 建築主の華僑、呉錦堂氏は上海近郊、寧波出身とのこと、私見ですが中国各地に多数残る塼塔を念頭に建造されたのではと感じています。塼とは一種の煉瓦で、その一例の画像をご参考に添付しました。

 1905年に民族独立、民権確立、民生安定の3民主義を唱える孫文氏が同志を集めて活動を開始し、末期的な混乱の続く清朝政府の退陣を目指し、1911年の辛亥革命、1912年に孫文が大統領に就任し、清王朝は終わりました。中華民国はこのようにしてスタートしましたが大国・中国は孫文の考えた方向付けがそのままに実現とはならず、今に到っています。

 

 考えさせられることが多い有意義なウオーキングだったと感じています。 (以上)

 

(文字数 727文字)

作成:天野俊夫

 

上海近郊・蘇州市に残る北塔・報恩寺塔です。

 

参考 : 袁世凱1916年病死、孫文1925年病死  1926年蒋介石・国民革命軍総司令官

      1919年第1次世界大戦終結、 1917年 ロシア革命

      1868年明治維新