眞子さまのお名前にこんな意味↓が込められていたのを知らなかった


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天性のものを失わず、
自然に、
飾ることなく、
ありのままに


私も字体はちがうけど「真里」という名前

「真」という字にこんな意味があるのが嬉しい

大げさかもしれないけど、
心が踊るような
魂がふるえるような
それぐらい
いいこと知った気分

父がつけた名前で「真心の真」と言われていたので、それしか頭になかった

「真心の真」
とにかく
まごころ」、
って思ってた!


私の思う真心は
「人の気持ちを考えること」
親からも言われたのかもしれない

今ならツッコミ入れたい
「考えてもわかるわけないよー
   いろんな人がいるんだから!!」

長年「人の気持ち」を考えてた私
「優しい」とほめてもらえることもあった
何回も言われるうちに
さほど嬉しくなくなってくる

だって優しくしてるもん
それは本当の私ではないから
本当の私を見てくれる人っていないな(←見せてないですから)

本当は怒るし不機嫌になる
それを人前では隠すうちに
優しい方の自分もニセモノに感じてしまう

一方で優しい気持ちも
ちゃんと私の中にあったのだけれど

優しいし優しくない
どっちもある

母は今年の誕生日にこう書いてくれた

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お母さん、ありがとう

こういう言葉、
前は常識を押しつけられてるように感じた

またお母さんが言ってるなーと
本当の私を見てくれないんだーと
勝手にすねまくりの解釈をしていた

私の方こそ、母は常識を重視すると
決めつけていたんだね

自分を犠牲にして
人に優しくしろ、なんて
言われていないのにね

『優しい心を大切に』
母は私の中の優しさを
見ていてくれたのだろう

一度は、私のものじゃない
と位置づけた「優しさ」、
今も昔もちゃんと
私の中にあるのを感じる

私も天性のもの、失ってなかったのかな

やり方を勘ちがいしただけ
 
これから
自分にも優しくして
人にも優しくするね














今日、次女の体操教室に行くのをやめた。

今日で3回目となるはずで、これまで「はずかしい」の一点張りでまったく参加していない。何とか誘いだそうとお兄さんが話しかけてくれるのが余計にはずかしいらしくて、私に抱きついて離れない。

1回目は初めてだったから。
2回目は体調が万全ではなかった。
3回目はどうなるだろう?

次女に聞くと「はずかしい」とだけ言う。

三度目の正直で、楽しめるかもしれない。
でもなー、ずっと抱きつかれながらお兄さんに言い訳がましいこと言うの、もうしんどい。
ほんとは体操教室なんて参加できなくていいのに、ついついその場では「参加した方がいい」と思ってるかのようなことを言ってしまう。

迷った末に次女に「行く?行かない?」と聞いたら「行く」と言う。「行かない」と言ってほしかったんだけど…。

それで、今日だけは連れて行ってみるつもりだった。がんばり教がまだ残ってる。長女のときは本人に聞くこともせずフル参加したものだった。

全部準備して行く直前にもう一度聞いたら

「はずかしい  
   やめる」

と言う。

で、私も「やーめた!!」と決心(←おそい)

電話して「予想以上にはずかしがって、参加が難しいんです」と言えたー!!
ありのままを言えたのがよかったー。
(嘘をつくこともよぎってたから)

しかも「毎回欠席のご連絡をしないといけませんか?」と聞いて、これから先(全6回もある)は出席する場合だけ連絡する、ということにしてもらった。

自分よりも次女よりも、体操教室の人たちの気持ちを考えてしまってて、迷っていたのだった。よくしてくれるものだから、気がとがめた。


体操教室、手放した。

ぽっかり空いた時間、私も次女も好きな近所の公園で遊んだ。

すごく楽しかった。 

次女、今までは怖がってた遊具にも挑戦。

カラスさんに棒をあげると言って、たくさん棒を一箇所に集める。

棒で地面にお絵かき。

満開のバラの花を見ながらのシーソー。


これは体操教室ではできないよ。

体操教室でやってほしかった以上のことだ。

「行かなきゃ」を手放して、よかった!!


これだけでもう十分満足だったのに、さらにいいことがあった。

夕方、買い物に行った先で、次女はまたはずかしがりが出て、片手で顔をおおいっぱなし。

はずかしがってることを話すと、お店のおばちゃんが、

「かわいいわねー」

って言ってくれた。

そりゃ私にとってはずっとずっとかわいいけど、他人様からは変ねって思われるかもって思ってたよ。

もうすぐ3歳にしてはじめて次女のこと、困った性格なのかも?これからどうしよう?って思いはじめていたので、ありがたかった。 

体操教室のみなさんも電話の対応をしてくれた方も、「かわいいわね」って言ってくれたおばちゃんもみんな優しかった。

これから会う人たちもきっと優しい。

勝手に怖がるのやめよう。




きのう私がドトールに行ってた小一時間、
夫は釣りの友達から電話があり話していたそう。

その方は、数ヶ月前に奥様を亡くされていて、
普段は釣りのこと以外話さないみたいなのに
たまたまきのうは
「奥さんを大事にするように」と
わざわざ話してくれたらしい。

私が怒りのメールしなくても
勝手に「私を大事にしよう」というモードになってた。
大丈夫だった。

他力ってすごーい。
ありがたい。
感謝。

夫は夕食後の洗い物も手伝ってくれた。

私もしつこくて
もうせっかく仲良くしてるのに、
「食事のしたくしろよ、って言われたのやだった。八つ当たりだよね?」
と聞いて、
「八つ当たり」としっかり答えてもらって、
やっと「許してやるか」となった。

夫の母を招いて夫の祖母の介護のことを話す予定を控えていて、主にそのせいなのはわかっていた。介護をめぐって、夫の両親が不仲になってきているので、心配なのだと思う。

夫の気持ちはだいたいわかっているのに、それでも「いい妻」はやらない。

経験上、後から「あの時もあの時もガマンした」ってどうせ思うのがわかってるので、ガマンをやめた。

もう「いい妻」やめた。
プイッと出て行ったり、わざわざ水を差すような質問をしたり。
夫がやりそうなことを私がやる。

やってみると
そこに悪意がないことがわかる。

ただ、悲しくてやってた。

奥底にあったのは
「拗ね」と「信頼」だった、私の場合。

夫に大事にしてもらえないんだ、という拗ね。
でも本当は私のことが大事でしょ、という信頼。

夫もきっと何かに拗ねていて、
そして、
私を信頼してくれてるんだと思う。

嫌なことを言われるのは
ほんとに勘弁してほしいけど、
信頼してもらえるのは
実はものすごく嬉しい。

「いい妻」やめたからには、
これから
どんなに夫に嫌なこと言われたとしても、
直後にやり返せばいいだけのことだ。
きのうの気づき(怒ることって本当に悪いことじゃない)を生かして、罪悪感なしでサラッとやりたい。

前は即座にやり返すのは幼稚で嫌だったし、やり返さないでいるガマンで、いずれは夫が嫌いになりそうで、それが怖かった。

要はお高くとまっていたのだと思う。
それに、変化が怖い臆病者だった。

夫のことを嫌いになってもいいから、私に嫌われても夫は大丈夫だから、自分を殺さずにやりたいようにやってみようと思う。