そんなこんなでももいろクローバーZにどっぷりハマってしまった私だが、かれこれオタク生活7年間、紅白を目撃したあの大晦日、いやその前のVS嵐を見た親子丼の夜から推しは全く変わっていない。一途なオタクだと自分でも思う。


 有安杏果。


 ちょっぴりおバカな小さな巨人。身長148cm、歌とダンスがピカイチ上手い。カエル鳥が苦手。私の永遠の推しメン。



 2018121日、ももいろクローバーZ卒業。



 今回は彼女に対する私のクソデカ感情を吐き出していこうと思う。



有安杏果と私



 「そういう顔」が好きなのだ、私は。ぱっちり二重のThe美形の女の子も見ているだけで惚れ惚れしてしまうが、例えば永作博美、杉咲花。タイプは異なるが小松菜奈などのアジア系の顔面が大好き。とにかく有安杏果の顔面は私の好みどストライク、むしろどストライクで打たれたボールはグローブに収まりきらず私の顔面にヒットした。完全にデッドボール。鼻血が吹き出る勢いだ。

 推さねば、と思った。私が推さないで誰がこの子を推すのか。実際現場に行ってみればそんなオタクは山ほどいた。物販行列で後ろに並んだ汗かきのメガネが私と全く同じことを言っていた。「俺がこの子を推さないで誰がこの子を推すんだ」と。笑ってしまった。


 有安杏果はダンスと歌が本当に上手かった。少しでもももいろクローバーZを知っていて、その映像を見たことがあるという方は分かると思うがとにかく彼女は「別格」だった。

 ももいろクローバーZ全体の歌唱力とダンス力がずば抜けているのは周知の事実だろうが、もちろんデビュー当時から今の実力が備わっていた訳では無い。デビュー当時の彼女たちは平均年齢13歳。あーりんに至ってはなんと小学六年生だ。そんな彼女たちのデビュー当時の歌声は年齢相応、経験相応。ビブラートなんて考えは一切無いしピッチもブレブレ。

 そんな中有安杏果はもうあの歳で自分だけの歌唱法を確立していた(それが原因で喉を故障したのだが)。そもそも有安杏果がももクロに加入したきっかけが「安定したボーカリストが必要」だなんていうものだから当然なのだけれど。

 特に彼女の本領はライブで発揮された。

 この動画を見てほしい。推しプレゼンが始まるとどんどんキモくなっていくね。いいじゃないか。オタクだもの。


【歌のみ(全曲収録)


https://youtu.be/dkp_T1mZMVQ


【映像あり(途中から)


https://youtu.be/ysdPmXwYVTc


というかこんなブログを読む人間なんてオタクか陰キャくらいだろうから(失礼)ニコ動のリンクを貼っておく。こちらは映像あり完全版なので是非。コメ非表示推奨です。

ももクロ PA故障からのアカペラ(完整版)

https://nico.ms/sm22307736?cp_webto=share_others_iosapp


 この時代のももクロは所謂「被せ」の時期。PAから流れる声付き音源に自分の声を被せるのだ。もちろんマイクのスピーカーよりも音源のスピーカーの方がずっと大きい。パッと聞いた感じでは口パクと言われてしまっても文句は言えない。

 そんな命綱とも言えるPA1番のサビ中に故障してしまった。慌てるメンバー、オタク、マネージャー。そんな中、杏果は一人歌い続けた。踊る手も止めない。


「駆け出した気持ち届くの 言葉は空に消えてゆくよ」


 ひとつだった杏果の声にメンバーの声が重なっていく。そしてオタクもそれに声を重ねる。いつの間にか5人の声は会場を轟かす大合唱となっていた。大きな音源に被せていたももクロの声は、もう既にアカペラでも充分戦える声だった。そしてそれから彼女たちはオールアカペラに移行することになるのだが、そのきっかけを作ったのは紛れもない有安杏果だったのだ。

 あの時杏果が歌わなかったのならももクロは一体どうなっていたのだろう。そんな野暮なことを今でも考える。当時彼女は16歳。何があってもファンに声を届けるプロ精神、そして「みんなで歌ってね!」「しおりんの生ラップ行くよ!」とオタクを煽るアーティストとしての場を作る技術。卓越していた。

 YouTube1つ目の動画を見ればよく分かるのだが、アカペラパート以降も杏果の声が5人の主軸となっているのが分かる。杏果の声がどれほどメンバーの、そしてオタクの心の支えになっていたのか分からない。少なくとも私は彼女の歌声が大好きだった。歌い続けてくれる強さが大好きだった。彼女の声を聞くと「ああ、ももクロは大丈夫だ」と安心できた。



 限界オタクによる推しのクソ重プレゼンはここまでとして、今回の本題に入ろうと思う。前置きが長すぎる。でも私の杏果に対する重すぎる愛を前提としなければこの話は出来ないのだ。許して欲しい。


 2016618日。忘れもしない、鹿児島のとある田舎にある小さなホールで奇跡は起きた。大袈裟ではない、これは正しく奇跡だったのだ。

 ファンクラブ限定イベントだった。「ロケハン」と称されたそのイベントに私は父と参戦していた。未だにそれが何のロケハンだったのかは分からない。

 出演メンバーは杏果、夏菜子、あーりんの三人。トークがメインのイベントだったのでフル出演は無いという趣旨だった。とにかく会場のホールが狭い。それまでどのライブでも豆粒のようにしか見ることの叶わなかった推しが、半径10メートル以内にいる。もう登場から私の目からは滝のように涙が落ちていた。


 前回のブログでさらりと書いたが私は振り付け厨オタクである。ダンスを習っていた経験もあってか、特にももクリ'12のセトリに収録されている曲はほぼ完璧に踊れる。その全部を見て覚えた。それまで一度も踊ったことなんて無かったのに、目が、脳が振りを記憶していた。ライブ会場に設置された特大モニターの前で踊る大人の振り付け厨に混ざって、小学六年生のガキンチョが無遠慮にも踊りまくったのを覚えている。初ライブの話だ。

 

 するとイベントの中盤、ももクロマネージャーの川上アキラ氏がこんなことを言った。


「誰かChai Maxx踊れる人いませんか?」


 Chai Maxxがどんな楽曲なのかはこの動画を見て欲しい。


https://youtu.be/uLMmqpTtPIA


 ももいろクローバー時代、つまり早見あかりがまだももクロにいる時代にリリースされたシングル曲だ。妊娠おめでとう。素敵なママになってね。

 ももクロにしては踊りやすい振り付け。オタクのほとんどは踊れるのではないだろうか。勿論、イントロから最後まで全て完コピできる人間は少ないだろうが。

 ちなみに最初のフォーメーションで左から二番目に立っているのが最愛たる推しメン、有安杏果である。是非とも刮目して頂きたい。可愛いから。というか一般人の踊ってみたとは比べ物にならないほどダンスが上手くてびっくりしてしまった。あとこんな古い映像を残してくれてありがとう運営。スターダストはやはり有能。2011年だぞなんであるんだよ。


 閑話休題。しょっちゅう脱線してしまうから良くない。


 Chai Maxxの振りは紛うことなき私の十八番だった。ももクロにハマって一番最初に覚えた振りだったと思う。それを踊れる人がいるか?だなんて正直愚問である。モノノフ(ももクロオタク)の必修科目のひとつだ。


「ももクロと一緒に踊りたい人は手を挙げてください」


 川上さんがそう言い終わるが早いか、私は身を乗り出してハイハイハイハイ!!!と叫びまくった。手は耳に付けて肩に対して真っ直ぐ90度。正直「ももクロと一緒に踊る」のところはよく聞いていなかったと思う。川上さん杏果、夏菜子、あーりん。私Chai Maxx踊れるよ、ここの会場にいる誰よりも完璧に踊れる自信があるの。それをここにいる全員に知らしめたかった一心だった気がする。ハイハイと叫び続けてしばらく経ってから川上さんの質問の真意に気付き、更に声を張り上げた。


 アイドルのライブにいる自分と普段の自分は完全に別人格だ、というのは前回のブログで述べた通りである。しかしまさかこんなに豹変するとは思わなんだ。普段の私はかなりのチキンである。進んで何かに立候補だなんて死んでも御免だしまずやらない。

 そんな私が手を垂直に上げて、身を乗り出して必死に、文字通り必死の形相で自分をアピールしている。正気の沙汰では無い。隣に座っていたPINK HOUSEを着たお姉さんたちがギョッとして私を見ていた。申し訳ない。


「え、あの子ヤバ笑 じゃああそこの緑の子」

 川上マネは一人目に私を指名した。え?一瞬時が止まったように思えたが父から思い切り背中を叩かれ現実に引き戻された。背中めちゃめちゃ痛かった。夢ではない。父も興奮していたのだろう。およそ中学生の娘に向ける力では無かった。

「お、お、踊、踊る?」

「そそそそうでしょ、行ってきなよ」

「え、え嘘嘘なんで?」

「なんでってハイハイ言ってたからじゃん行きなって!!!」

 また強く背中を叩かれた。痛かったけども有難かった。二階席から一階のステージへ続く階段をそろりそろりと降りた。辺境に佇むホールはとても小さかった。どうしてこんな小さいとこに来たんだろう?ステージへ続く階段を降りながらギリギリ理性の残る頭でそんな事を考えていたのを覚えている。上手く歩けなかった。カクカクと膝が震えた。

 くらりと階段で躓くとぱっと顔の前に誰かの白い、すべすべした陶器のような手が差し出された。


 それは紛れもない、ずっとずっと好きだった推し、有安杏果の手のひらだった。


 念の為言っておくが、全て実話である。


 涙腺決壊。階段に足をかけたままボロボロと泣き始めてしまった。慌てて杏果が声をかけてくれる。

「大丈夫?ほらゆっくり」

「だ、大丈夫……

 どういうことだ。何故私は今最愛の推しに手を引かれてゆっくりゆっくりステージの階段を上がっているのか。一段ずつゆっくりと、手を引かれながら階段を登る私の姿はきっと老婆のようだっただろう。

 階段を登りきるとそこには夏菜子とあーりんもいた。当たり前だけど。またそこで泣いてしまった。あれ?私、死んだのかな?


 よく「テレビで見るより綺麗」という感想がしばしば芸能人に対して使われるが、あの都市伝説は本当でした。めちゃめちゃ足細い、めちゃめちゃ顔小さい、めちゃめちゃ肌綺麗、めちゃめちゃお目目デカい、めちゃめちゃ可愛い。


「ありがとうねぇ〜」

 杏果はそう言うと私をぎゅっと抱きしめてくれた。どうして私はもっと可愛い格好をしてこなかったんだ!と死ぬほど後悔した。杏果は私よりも拳一つ分くらい小さくて、ふんわり膨らんだ衣装の袖から見える腕は、少し力を加えれば簡単に折れてしまいそうなほど細かった。小さな身体で私を力いっぱい抱きしめてくれる大好きな女の子。——死ぬなら今がいいな。そんなことを本気で思った。


 勿論そのようにステージに引き上げられたのは私だけではない。杏果推し、夏菜子推し、あーりん推し、それぞれ3人ずつ客席から選ばれたのだ。その9人のうちの一人が私だった。

 いよいよ踊ることになった。なんとポジションは杏果の隣。手汗がナイアガラ。イントロの前、杏果がこちらを向いて微笑んだ。


「一緒に頑張ろうね!」


 その笑顔の可愛さにぼんやりと呆気に取られているとチャイマのイントロが流れ出した。慌てて最初のポーズを取る。そこからはもう夢中だった。


 ステージから見えるサイリウムの海の美しさ。昔テレビで見たホタルイカ漁の映像のような、いやもっと美しい。ちらりちらりと見えるオタクの顔の美しさ。今を100パーセントで生きている人の顔だった。汗一粒でさえ美しく思えた。こちらに向かってくる声の熱量も凄まじかった。地鳴りだった。ステージって凄い。いつもの倍アドレナリンが出た。


 楽しい記憶、幸せな記憶というものはすぐに忘れてしまう。正直この時の記憶はほとんど残っていない。一つ確かに覚えているのは、サビ中に杏果が私にマイクを向けてくれたことだけだ。

 私は踊ることに夢中で暫くその事に気が付かなかった。ごめん杏果。あの時私の喉からはどんな声が出ていたのだろう。考えるだけで恐ろしい。声量の調節なんて出来るはずが無いし汗ダラダラになりながら踊っているのだからもう殆ど叫び声に近い。あの時のオタクには悪かったなぁと心から思っている。しかし私にマイクを向けた杏果にも多少の責任はあると思う。多分。


 多分そこからは記念撮影をして、どうにかして客席に戻った。父が何故か泣いていた。どう家に帰ったのかも覚えていない。勿論父の運転する車で帰ったんだろうけどその記憶は全く無い。


「お前が神だったのか杏果が神だったのか川上さんが神だったのかイベントが神だったのか分からんけど、とにかく神イベントだったな」

 そんなことを言われた気がする。全部正解。


 そんなこんなで私の推しに対する愛は拗らせていく一方である。だって手を握られハグもされ微笑まれ隣で踊りマイクを向けられた。「目が合った!!」どころの話ではない。一生推す。そんな意志を日々強めながら月日を過ごし、ある年越しライブの生中継を見て年を明かした直後、20181月のある日のことだった。


 部活から帰ると、親が力のない声で私に言った。杏果、ももクロ辞めちゃうんだって。


 私の親は割と冗談を言う人間なので、今までもこういうことは多々あった。ももクロ解散するらしいよ、米津(私がファン)、引退するらしいよ。その度に私は「またまたぁ〜笑」と軽めにあしらうのだ。


 だから今回も言った。「またまたぁ〜笑」と。すると親の様子がおかしい。目頭に手を当て小さな声で「ググってみな」と言われた。言われるがまま有安杏果、と検索するとすぐにライブドアニュースの記事が飛び込んできた。


 そして分かった。

 どうやら今回はマジらしい。




 泣くことも出来なかった。必死にネットニュースの文字を追い、何度も何度も読んだ。それでも意味が分からなかった。どうして?今年はももクロにとって記念すべき10周年イヤーなのに。この前の年越しライブも、その前のクリコンも最高だったのに。5人での東京ドームライブ、楽しみにしていたのに。

 ひたすらブログや本人のコメントを読んだ。それでも意味が分からない。ご飯なんて食べれなかった。お風呂に入りながら読んだ文章をひとつひとつゆっくりと反芻した。あんなに好きだった推しが卒業を発表したのに涙一粒も流れないのが悔しくて、少し頑張ったら涙も出るかななんて思ったがお風呂場の湿気が邪魔をした。

 布団に入ると、ちょっと涙が出た。


 121日に杏果はももクロを卒業した。その日は「やむを得ない事情」と説明し部活を早退して卒コンの生中継を見た。今度は初めから最後までずっと泣いていた。極度の緊張しいで、大きな箱のライブではいつも泣いていた杏果は最後まで泣いていなかった。それもまた泣けた。早見あかりの時とは明らかに違う、彼女の瞳には確固たる信念が宿っていた。迷いがなかった。その表情から、「もしかしたらこうなる運命だったのかもしれない」なんてことを考えてしまいもうダメだった。辞めないで、なんてことを軽率に言えない顔だった。泣き虫で小さな女の子は、いつの間にか強い女性になっていた。そんなことも分からなかったのか。そう思うと更に泣けた。


 新年度を迎え、私の住む県にももクロが47都道府県ツアーにやって来ることになった。杏果が卒業を発表する前に応募していたライブだ。

 正直ホールに向かう足取りは重かった。まだ杏果の卒業を受け止め、整理するには時間が足りなかった。他に服なんか持っていないので、真緑に身を包み緑のサイリウムを2本持って会場へ向かった。彼女がいない、新しいももクロを受け入れられるか不安だった。


 結果、そんな心配は杞憂であった。4人のももクロも今まで通り、いやそれ以上に力強く、可愛く、美しかった。また泣いた。有難かった。彼女が空けた穴をしっかりと埋めて、さらにその地盤を強固なものにしていた。 その姿の頼もしさに泣いた。一生ついて行く。そう思えた。私はももクロのライブに行ったら泣いてばっかりだ。


 ライブの後、ファンで集合写真を撮った。全体、赤、黄、ピンク、紫。それぞれの集合写真を撮った後、カメラ係のファンが言った。


「緑の方も撮りましょう!緑がいないももクロのライブはももクロのライブじゃありません」


 もうまたボロボロ泣いてしまった。嬉しかった。この服を着て、この色の棒を持って4人の新たなステージに立ち会って良いものか、ずっと悩んでいたのだ。曲の幕間に推しの名前を叫ぼうとしても彼女はそこにいない。もうあの名前を呼ぶことは叶わない。緑のサイリウムもずっと少なくなったけれど、まだ私はここにいていいんだと、そう思えた。


 去年のクリコンのライブビューイングに行った。映画館で緑のサイリウムを振っていたのは私だけだった。Twitterで仲良くしていた杏果推しの女の子はあーりん推しに、お兄さんは夏菜子推しになっていた。推し変も勿論考えたけれど、あまりに推していた時間が長すぎた。毎回「推し変するぞ、推しを決めるぞ」というら気持ちでライブに臨むがそれでも決まらない。あれから2年が経った今でも、私は未だ緑色以外の戦闘服に袖を通せずにいる。


 私の時はまだ2018121日で止まってしまっている。次のライブもきっと緑の服を着ていくだろう。恐らく、私が緑を卒業できる日は永遠に来ないと思う。

 4人のももクロを受け入れられていない訳でも、杏果の卒業を受け入れられていない訳でもない。彼女たちは今この瞬間にも最高を更新し続けているし、杏果だって新たな道を歩み始めた。いちファンがその新たな旅路を阻害する訳にはいかない。


 私が現場で緑のサイリウムを振るオタクの最後の一人になろうとも、私はライブに通い続け叫び続ける。あの時抱きしめてくれた、あの細い腕の力強さと熱を、ずっとずっと忘れないでいたい。有安杏果がももクロいたという、ささやかな生き証人のようなものになれたらと、常に思っている。


 私と出会ってくれてありがとう。ずっとずっと、私の永遠で最高の推しメンです。幸せになってね。


 感情の赴くまま指を走らせたので支離滅裂な文章になってしまい申し訳ない限りだ。まだアイドル編は続きます。マジですみません。次は今推しているZOCについてのクソデカ感情を語ろうと思う。