円谷幸吉選手のランニングシューズ | 頑張れ体校のブログ

頑張れ体校のブログ

体校(PTS:自衛隊体育学校)の若きアスリート応援ブログです。校友会(体校OB会)がお届けしています。◆パリ五輪:銀メダル新添左季・高谷大地・佐藤大宗、梶木・蛯名・石黒・内田健闘◆北京冬季五輪:バイア・クロカン7名出場

円谷選手の靴

    [円谷選手のランニングシューズ]
体校の円谷幸吉選手(当時3等陸曹)1964年東京オリンピック男子マラソン2時間16分22秒日本陸上初の銅メダルを獲得しました。円谷選手は福島県須賀川市出身、身長163cm、体重53kgの小柄な体格でした。円谷選手が愛用していたランニングシューズが体校の広報展示室にあります。

円谷選手ラン

 [マラソンゴール国立競技場を走る円谷選手]
円谷選手は東京オリンピックでまず大会5日目の1万メートルに出場し28分59秒で6位入賞を果たしました。そして大会最終日の男子マラソンで日本中の大歓声を受けてエチオピアのアベベ選手に次いで2位でゴールの国立競技場に入りましたが、バックストレッチで当時世界記録保持者のイギリスのヒートリーに抜かれ銅メダルに輝きました。
 円谷選手表彰台 
    [表彰台に立つ円谷選手(右)]
しかし、この栄光は続きませんでした。怪我と故障が次々と襲いました。次のメキシコオリンピックの前年の昭和42年には椎間板ヘルニアとアキレス腱の手術をしてその回復が遅れていました。12月に実家に帰った後の43年1月4日、まさにメキシコオリンピックイヤーの始まりに体校の宿舎で遺書を残して自殺してしまいました。
遺書は円谷選手らしい素朴で親思いで、責任感の強さがにじみ出ています。
-円谷選手の遺書-
「父上様、母上様、3日とろろ美味しうございました。干し柿、もちも美味しうございました。
敏夫兄、姉上様、おすし美味しうございました。勝美兄、姉上様、ブドウ酒、リンゴ美味しうございました。(略)父上様、母上様、幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許しください。気が休まる事もなく、ご苦労、ご心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。(略)校長先生、済みません。宮下教官、ご厄介お掛け通しで済みません。企画室長、お約束守れず相済みません。メキシコオリンピックのご成功をお祈り申し上げます。」