酷暑の夏も終盤に近づいてきたようですね。朝夕の空気もかわり、ひんやりとした風が心地よく感じるようになりました。今朝は5時前に窓を開けると風もとおって、そこから気持ちよくまた眠れました。


さて、夏休みも終わり学校によっては「夏季明けテスト」が終わったころでしょうか。

このテストの結果の如何が、この2学期の方向性を占うものでもあるので、結果はとても大事ですね。


もし、この結果が思うようでなかったら、夏休みの勉強が余り身についていなかったということになりますので、勉強の方法を変えていくことも大切です。


きょう、面談させていただいた生徒との会話の中で

「数学はできないのではなくて、わからないだけだよ」という話をしました。

「できない」=「わからない」ではありません。

つまり、「できない」というのは「能力がない」ということです。それに対して「わからない」というのは

「理解していない」ということになりますね。英語で書くと一目瞭然です。


「できない」という生徒は割合的にも、ほんとうに少ないと思います。

点数が取れないのは「勉強の仕方」がまちがっていたり、あるいは独学でやっていて、それが身につかないという結果を生み出したりしているからでしょう。

独学でする場合、「ひとりでも勉強できるはず」という反論がでそうですが、テキストの解答は意外と不親切にできています。なので、「ここで、どうしてそうなるのかわからない」ということが多くあります。


わたしは、これは教材会社と塾や予備校との策略じゃないかって、時々思いますが真相は不明です。

ただ、解答をみてすぐに理解できる生徒は、かなりできる生徒だと思います。

この傾向は、高校生によくみられますので、「勉強なんて、答もあるんだからひとりで頑張りなさい」という言葉をいうことは、お子さまには納得できないものになるかもしれません。


学校での授業も、中学とは異なり高校では進度が速いために、ついていくことが極めて難しくなります。とくに中高一貫校に高校から入学した場合には、よほどの勉強の貯金があれば別ですが、そうでない場合には「数学きらい」の生徒の誕生は、極めて容易にできるでしょう。


二学期になって、数学がきらいなままのお子さま、物理か化学がきらいなままのお子さまの場合には

是非、てをかけてあげてください。

この夏に、高齢の男性が塾に来られて「孫の勉強を見てほしい」というお話をされました。

物理がまったくできないということで、数回授業をいれて勉強したもらったのですが、後半のコマの授業を「ぜひ、先生で」というお話をいただいたんですね。

わたしは、最近物理に触れていなかったので、他の先生で対応させようと逃げる算段をしたのですが

残念ながら、うまくいかず、生徒には申し訳なかったのですが、自分が物理を見させていただきました。


数回授業を重ね、他の科目と違い予習をしないと「危険度」が高い授業にはなりましたが、おかげさまで

この生徒は「よくわかる」といってくれました。そして、テストも他の生徒とは格段に違う成績をとってくれました。

このことを通して、またひとつ学びました。上から目線ではなくて、一緒に考える、答を導きあうと言う授業は大切だと言うことです。

はしごの一段一段を確実に上がらせていくことで、「達成感」がうまれてきたようです。なので、いまでは

「物理が嫌い」とは言わなくなりました。


「できない」のではなく、「わからない」だけ。そうであれば、「わからせて」いけばいいのですよね。

そこに、この仕事をしている楽しみもあると思いました。