日本人は気質的に、人間個人の重要な想いや尊厳よりも世間的な恥を負わないことの方を重大な事として捉えているように思うのですが、皆さんどう思いますか?





捕虜になった兵が、帰郷したら「父母さえも自分を受け入れないだろう」(おそらく本心でなくとも近所の人らの手前、受け入れる振る舞いはできないというのもあろう。)という予測をするのも、そんな気質を裏付けるように思います。




もしも、それでも息子を庇おうとする父母は、どんなに理屈が通った話でも地域社会から猛バッシングされたでしょう。その猛バッシング振りの理不尽さが社会において罷り通ることは最近のコロナ過剰対策下で証明済みでもあります。

(ただ、その家族のキャラクターによっては地域社会が、◯◯さんの所だからまぁいいか。みたいに曖昧に済ます可能性もあり得ますね。恥の文化であるが、何が恥かを決めるモノサシは極めて人治主義的で、結局、力のある者や声のデカい者の意見が通りがちである。)





日本人は、そんな気質でずっとやってきたので、なかなか個人の能力を十分に発揮することができないばかりか、世間の目という自主規制を迫られる個人も苦痛を感じるので、日本社会の閉塞感はかなり高まっていると思います。




日本人には、本当の意味での人権思想なんか全く根付いていなかったことは、先に挙げたコロナ過剰対策下で衝撃的なほどに明らかになりましたが、真の人権意識が日本人に芽生えるのは、個人が世間体に打ち勝って自由に行動するようになり、従来の社会がいかに窮屈であったのかを悟ることができた先にあるものだと思うので、まだまだ先のことではないかと思います。