引き続き長野県中野市の猟銃立て籠もり事件についてです。




こういう事件があると、犯人がどういう人間だったのか?

に報道の光が当てられます。



やっぱり気になりますからね。




で、そういう時には、学校時代に活発だったかとか明るかったかとか、人付き合いはどうだったかとかのフレーズをよく見る気がしますね。



で、だいたいこういう事件を起こした犯人は、不活発だったとか、友達がいなかったとか、挨拶もしないとか、殆ど喋らなくて何を考えているか分からなかったなんていう人物像が描き出されたりします。



そうすると、ワイドショーとかでは、まあやっぱりね。みたいな感じで話が進みます。


たまに、活発だったとか人当たりが良くてこんな事件を起こすとは思わなかったなどという証言があると、へぇー。意外だね。

みたいな感じになります。




つまり裏を返せば、こういう犯罪を犯すのは、暗くて不活発でコミュニケーション下手な人間だ。

みたいなレッテルが暗黙のうちに貼られていて、それを言葉には出さなくても共通知として大多数の人間がそういう認識を持っている感じがしますね。



中野市の事件では、案の定というか期待を裏切らない人物像だったようですが、上記のレッテルからするとなんか、明るく元気でいないといけない、社交的でないと存在してはいけないみたいなプレッシャーを、犯人男性も幼少期から感じ続けてきたんじゃないかなと思ったりするのです。