42,北伊豆地震 北伊豆のジャンヌダーク | obserのブログ

obserのブログ

静岡県東部より地震予知観測・観察状況を中心に書き込みます。

2006年に

お亡くなりになった 

長倉さんの

寄稿文です

. 

1930年(昭和5年)

11月26日

午前4時3分

マグニチュード7.0

震度6の直下型地震が

伊豆半島北部を襲い

一瞬にして

死者255名

負傷者161名

倒壊家屋2073戸等

の大災害が

発生しました

.   

多くの人々が

家の下敷きになり

かろうじて助かった人も

茫然自失の状態でした

 . 

震源地に近い

韮山村(現伊豆の国市)

でも

多くの家が倒壊し

.

更に南条区中部落では

火災が発生したのです

.  

これより7年前

大正12年9月1日の

関東大震災においては

東京では

発生した火災により

 地震による死者を

大幅に上回る

死者を出したことは

充分知られていた所です

. 

.    

    

火は南西風にあおられ

火の粉は一面に四散し

且つ 出火元では

家族全員が倒れた梁に

押さえられ

助け出すことも

できない有様で

まさに地獄絵

延焼は

不可避の状態でした

.  

しかしながら

大人たちは

あまりの惨状に

我を忘れ

身の回りの事のみしか

なすすべを知らない

状態だったのです

.  

その時

 近所に住んでいた

小学5年生

僅か12歳の少女が

 . 

突如

身の危険も恐怖も顧みず

ねまき

ハダシのまま

高さ15メートルの

火の見櫓によじ登り

半鐘を乱打して

急を告げたのです  

.  

この警鐘により

人々はようやく我に返り

消防ポンプを引きだして

火災を消し止め

類焼を防ぐことが

できたのです  

 . 

駿豆震災史には

純情そのものの如き

可憐なる少女の

このめざましき

行動には

まさに

鬼神も三嘆すべく

震災美談中の

紅一点といい得べし

と記されています

 . 

また

 当時の新聞には

北伊豆の

ジャンヌダークの表現で

この冷静且つ

果敢なる行動を

褒め称えました

.  

.  

東海地震の切迫が

叫ばれる今

私たち

危険物取扱者にとっては

不意の大参事に

見舞われても

この少女のような

冷静な判断

そして適切なる行動が

求められるのです

.  

皆さんには

充分な自信が

おありでしょうか

.    

.  

(社団法人

静岡県

危険物協会連合会

会報第56号)

2006年6月9日

より

.   

社団法人

静岡県

危険物安全協会

連合会様に

電話連絡をし

掲載させて

いただきました

.   

長倉 昭夫

前、田方

危険物安全協会長様は

この会報56号発行を

目前に

ご逝去されたそうで

ご冥福を

お祈りいたします

.    

 

※ ジャンヌダーク

(ジャンヌダルク)

 フランス軍に従軍

 イングランドとの

百年戦争に参戦

  (女性)