2006年に
お亡くなりになった
長倉さんの
寄稿文です
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1930年(昭和5年)
11月26日
午前4時3分
マグニチュード7.0
震度6の直下型地震が
伊豆半島北部を襲い
一瞬にして
死者255名
負傷者161名
倒壊家屋2073戸等
の大災害が
発生しました
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多くの人々が
家の下敷きになり
かろうじて助かった人も
茫然自失の状態でした
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震源地に近い
韮山村(現伊豆の国市)
でも
多くの家が倒壊し
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更に南条区中部落では
火災が発生したのです
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これより7年前
大正12年9月1日の
関東大震災においては
東京では
発生した火災により
地震による死者を
大幅に上回る
死者を出したことは
充分知られていた所です
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火は南西風にあおられ
火の粉は一面に四散し
且つ 出火元では
家族全員が倒れた梁に
押さえられ
助け出すことも
できない有様で
まさに地獄絵
延焼は
不可避の状態でした
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しかしながら
大人たちは
あまりの惨状に
我を忘れ
身の回りの事のみしか
なすすべを知らない
状態だったのです
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その時
近所に住んでいた
小学5年生
僅か12歳の少女が
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突如
身の危険も恐怖も顧みず
ねまき
ハダシのまま
高さ15メートルの
火の見櫓によじ登り
半鐘を乱打して
急を告げたのです
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この警鐘により
人々はようやく我に返り
消防ポンプを引きだして
火災を消し止め
類焼を防ぐことが
できたのです
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駿豆震災史には
純情そのものの如き
可憐なる少女の
このめざましき
行動には
まさに
鬼神も三嘆すべく
震災美談中の
紅一点といい得べし
と記されています
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また
当時の新聞には
北伊豆の
ジャンヌダークの表現で
この冷静且つ
果敢なる行動を
褒め称えました
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東海地震の切迫が
叫ばれる今
私たち
危険物取扱者にとっては
不意の大参事に
見舞われても
この少女のような
冷静な判断
そして適切なる行動が
求められるのです
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皆さんには
充分な自信が
おありでしょうか
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(社団法人
静岡県
危険物協会連合会
会報第56号)
2006年6月9日
より
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社団法人
静岡県
危険物安全協会
連合会様に
電話連絡をし
掲載させて
いただきました
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長倉 昭夫
前、田方
危険物安全協会長様は
この会報56号発行を
目前に
ご逝去されたそうで
ご冥福を
お祈りいたします
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※ ジャンヌダーク
(ジャンヌダルク)
フランス軍に従軍
イングランドとの
百年戦争に参戦
(女性)