当時の東海道線も
東西をつなぐ
大動脈でした
物資の運搬や
政治・文化・経済の
発展に多大に寄与し
次第に駅や列車は
整備され更に路線の
能力向上が必要になった
最大の問題個所は
箱根線の急こう配と
降雨時の災害だった
大正2年
熱海⇔三島 間に
7,804mの
長いトンネルを
掘削することが決まり
丹那盆地を中心に
測量が始まった
が、しかし、
熱海には政財界人の
別荘があり
「利益を生むため
だろう」
などの中傷があり
政府内でも
予算についての
反対があり
工事中止となった
その後
内閣が変わり
再び工事再開となった
地質学者の調査では
トンネル掘削予定地では
安山岩や
集塊岩などの
火山岩だとのこと
3名の理学博士も
調査に入り
丹那盆地は大きな
噴火口跡 で
地質は硬い安山岩
とのことで
地熱の高いところもあり
灼熱に苦しめられる
だろうと推定した
事前調査が終了し
掘削工事に
入る事になったが
ここで問題が発生した
丹那トンネル三島口近くの 函南駅
工事計画では この駅はなかったが
函南(丹那)区民の大きな協力が有ったとのことで
函南駅がつくられた