大場川探索時
川沿いに在る
大場の久八さんのお墓に参拝させてもらいました
ウイキペディアあたりに詳しく紹介されているので
簡単に書き込みます
墓所は伊豆箱根鉄道 大場駅 から徒歩10分
旧下田街道沿いに在ります
看板の裏には 久八さんの業績が簡単に書かれています
前回訪れた時には、一般のお墓と同じなので、墓場をうろうろ(不審者)
墓所に 小さな小さな案内碑でわかりました
今回は墓石は新しくなり、案内碑も大きくなり 白御影石で一目でわかるようになっていました
時代は、明治に移り変わるとき
黒船が現れるなど激動が続いていました
江戸に大砲台場を築くことになり (現在の東京の お台場)
伊豆韮山代官の江川太郎左衛門英龍が陣頭指揮を執ることになり
人足頭に 大場の久八の力量が買われ 人足を取り仕切ることになりました
世界遺産の 韮山の反射炉 大砲製造用の溶鉱炉です
江川家 代官屋敷
台所
世界遺産登録申請中に
おっさん会で 韮山散策を5名で行いました
代官屋敷内の展示物の説明を 学芸員と思われる方にお聞きしました
私は--- 知ったかぶり----で
お台場を築くのに 大場の久八が江川さんにかなり協力したようですが
全くお名前が出ませんね
お墓も分かりにくいし---などと言うと
「お話は久八さんのご家族などにしているのですけど、断られているんですよ
お話を持って行ったあと、あのお寺の看板が引っ繰り返されたんです
どなたがやったか分からないですが」
その年の師走
新聞に「江川家の特集」と、ご家族での餅つきの写真が掲載されていました
アッ・・・・・学芸員じゃなくて奥様だったのか
私の軽口を思い出して、 これを書いていても恥ずかしさが・・・
そして、江川家の代々の古文書には 結婚しても嫁の名前は記載されず
ただ 女 としか書かれていないとか 奥様がおっしゃっていました
明治時代に入り
台場の久八は農業に励みながら、小学校を設立したり公の仕事に尽力したとのことです
同時代の 清水の次郎長は多くの人に知られていますが
台場の久八は、地元でも知らない方々が多いようです 残念ですね
・・・・東京のお台場に記念碑を なんて思いますが・・・・