富士山噴火の歴史 9  | obserのブログ

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静岡県東部より地震予知観測・観察状況を中心に書き込みます。

800年(延暦19年)噴火 続き

  

 

手元の資料、著書の中には

 

宇津湖(宇宙湖)などなく 

 

「有史時代には山中湖だった」 との説がある  

  

 

古文書に 「宮下文書」 が登場しますが

 

「宮下文書は信用しがたい」という方がいます

(学者の方々はまったく信用していません)

 

空想と現実が入り混じっているようで

まるで伝説のようです

 

 

素人ですので

状況の真贋は置いておきまして

 

ここでは富士山の噴火が、いかに凄まじいものだったかを

 

記憶に留めておけばよいのではないかと私は思いました

  

 

ということで

 

 

  山梨県側からの 「宮下古文書」 記録

 

「延暦十九(辰)年 福地山噴火記」

   

『 高天原の宇宙湖に熱湯--溶岩--押し込み二湖となり

 

寒川の谷高くなれり

 

高座山の尾根は皆熱湯かぶり

 

小室沢は小御嶽山の賀茂山神社の前の南にあった

 

亀の小池より菊里比女の古跡である笠砂の小島迄

 

皆一つの海となれり 

 

 

西大湖は半分となり 

 

西田原には二里に一里の水海が出現す

  

これは太田川に熱湯押し込みつぶれしためなり

 

御船湖にも熱湯押し込み三分の一となるなり 』

  

  

なんとも凄まじい様子が記されている 

 

 

高天原とは、富士吉田市付近にあった神都で

 

千数百人が分厚い溶岩の下に埋もれてしまった

 

助かったのは神都経営不振のため

 

中央に予算要求のため請願に出かけていた

 

神官300人だけだった

 

 

そのとき焼け残った御神鏡は

 

征夷大将軍 坂上田村麻呂 の命により

 

相模(神奈川県)に寒川神社を創建して祀ったとされている

  

  

  

「古事記」や「日本書紀」には

 

富士山噴火等の記述はないと言われる

   

 

 

 

 

  

 2012年7月31日  裾野市民文化センター付近より

   

 

 

静岡県富士山ビュー 御殿場カメラより