10月9日(木) と 10月10日(金) 川崎市アートセンター

監督:松原文枝

語り:大竹しのぶ

製作:テレビ朝日

 

知らなかったことを恥じる。

絶賛の映画。立て続けに。

 

満蒙開拓団。いくつかの村から、政府の支援(半強制)の元に、満州の開拓という名目で送り込まれた開拓団。

本映画では、岐阜県白川の黒川村から募集されて、応じた方々で構成された開拓団。

満州が、帝国陸軍の陰謀によって「建国」され、その地の開拓を命じられた開拓団。

五族協和の美名の元、駆り出された。五族とは、日本民族、蒙古民族、満州族、朝鮮族、漢族のこと。

 

開拓とは名ばかり。現地の満蒙人が既に開拓してあった土地を、取り上げて(接収して)日本人が豊かな土地で農業を行った。

中国大陸への侵略の兵站基地化だ。五族協和などは、絵空事。侵略の口実。

 

それが、敗戦の年1945年8月9日に、日ソ中立条約を破棄してソ連軍が侵入してくるや、すでにそれを予知して(宣戦布告されていたはず)関東軍は、開拓団に秘密裏に南方に後退していて、いきなり満州北方の開拓団が最前線に立たされる。

あっという間に追い詰められて、集団自決を図る団もあり、逃走中に息絶えた者たちもいた。黒川開拓団はなんとか生きて日本の帰国しようとして、皆で避難所を設立して逃げ込む。

そこに襲いかかる、怨みを抱えた満人達、ソ連軍の兵士達。

考えた黒川開拓団の指導者は、逆にソ連に身の安全を託そうとする。

 

そして、ソ連の将官を「接待」しようと考え、18歳以上の未婚の女子を「接待」要員とする。

「接待」と言えば、お茶やお酒を提供し、歓楽させるものと思ったらしい。が、実際は「性接待」であった。

将校を性接待することにより、ソ連軍下級兵や満人から、開拓団員を「守る」のが名目。

毎晩のように、数名が指名されて「接待所」に行かされて、ソ連軍将校の「接待」をさせられる。

そんなこと知らない女子らは、ほぼ強姦状態で「接待」させられる。

 

病気や妊娠を防ぐため、効果があるのかないかわからないが、事の後、子宮を洗浄する。

冷たい水で。

 

接待要員とされた女子は、15名、2ヶ月にわたった、と。

その中で死亡した女子もいたし、病気になって廃人の様になってしまう女子もいた。

しかし、そのお陰で、開拓団のオトコどもは、襲われることなく、約1年後に本土に帰還することが出来た。

 

本来は、接待要員となった女子は英雄ヒロインのハズ。

ところが、こうした事実は封印され、更に”汚れた“”汚い”と差別され、偏見の元で、誹謗中傷を受け、敬遠され、黒川村に定住することが出来ずに、他所に移転して、秘密を抱えたまま、生きていくしかなかった。

 

旧満州への遺骨収集団が出かけて、帰ってきて、「乙女の碑」を建立する。しかし、どうして「乙女の碑」なのか、碑文がないのでわからない。本人達の名誉のためという美名目から“隠す”。

あるとき、接待要員の一人、二人が「なかったことにはできない」と立ち上がり初め、2013年満蒙開拓記念館で行われた公演で、佐藤ハルエと安江善子が、実名を挙げて、性接待させられてきたことを公の場で明かした。経験したことをありのまま、実名で、語り始める。

どうやらそれまでも知る人には話してきたらしいが、マスコミも尻込みし、実名公表はできなかった。ドキュメント映像も作成されたようだったが、匿名であり、顔出し映像もなかった。

以降、その集大成として、「乙女の碑」に「碑文」が附属され、真実が歴史に残される。このドキュメント映画も作成される。

映画の完成は、2025年3月。

これまで実名公表してきた「性接待」させられた女子のウチで、実名公表は4名。

 

この様な映画は決して通常の配給はされない。

 

ワタシは、知らなかった。

恥じ入るばかり。

それどころか、革命を目指す左翼であったこともあって、あの崇高な革命軍「赤軍」のソ連兵が、野蛮なことなんてするはずがないという、それこそ盲目。

その点映画「宝島」のオキナワは、反米闘争の中で、共感し、共闘した(と思っていた)。

 

オキナワを知っているか、などと偉そうなブログを書いた自分が、わずか1週間後の「黒川の女たち」を観て、満蒙開拓団とその過酷な運命は、知らなかった。

恥じ入るばかり。

多分、北方領土問題も、ワタシはまだ知らない。

戦後史は重要。

 

戦争には、加害と被害がある。

日本人は、満州やその他で加害者としていたと共に、被害者でもあった。加害者としては、中国、韓国などに、謝罪をした。屈辱外交などと揶揄している人は今でもいる。

しかし、当時の政府関係者、軍関係者は、日本人にも謝罪しなければならない。

 

満州国官僚の中枢にいたのが、岸信介。戦後、首相にまで上り詰める。

その孫が、安倍。悪夢のような安倍政権。

石破政権で、少しは正常化に向くかと思ったらば、引きずり落とされて、安倍路線を引く継ぐ女性総裁高市が選出される。

 

加害と被害の同居は、オキナワでも、満州でも、通底する。

いつも踊られて、最後は貶められて、困難を極めるのは、一般庶民。取り分けて婦女子。

 

そんなことで、映画を観つつ、涙が流れる。

上映後、パンフレットを求めたが、その声が泣き声になっていて、我ながら驚く。

帰りながら、チラチラ見て、じっくり読んで、ブログにしようと思っていたのに、な~んと、そのパンフレットを無くしてしまった。

これはいかん。もう一度買いに行かねばならぬと決意し、それならばと、連日になるが、もう一度この「黒川の女たち」を観ようと。

 

平和ボケ、と言われる。

確かに「平和ボケ」なのだろう。が、そういう言葉の裏には、だから軍事力を増強しなければならないという方向性が垣間見える、というか露骨に軍事力増大に走る。

しかし、パワーバランスは、日本では無意味なのです。そんな力はない。地政学的にも、大国のロシア、中国に近く、超軍事大国のアメリカには、事実上占領されている。

それは、先の戦争でも実証されたはず。

どうして、あの戦争は止められなかったのか、避ける決断ができなかったか。

 

大衆は、あの戦争の時にも、むしろ大喜びしたんだ。提灯行列だ。

しかし、それは誤っていたんだ。

冷戦の時にも、軍事バランス論は、却って平和の脅威になることはわかったはず。

今でも、こういう脅威からは逃れられない。

平和ボケしている今だからこそ、軍事力に頼らない、積極的な平和構築論が求められる。

戦争をしない、させないパワー。それが憲法9条の意味。

 

日米安保条約は廃棄されねばならない。相手国を圧倒する軍事力ではなく、少ない軍事力は必要。国防のため。

 

ここまでは、10月10日に記述。一部人数などをパンフを見て修正した。

これからは、2回目を観た後の10月11日に記述。

 

公明党が、連立政権離脱。快なり。

石破総理が、戦後80年所感を公表。自分の言葉で語る、久しぶりの宰相であった。記者会見を含めて、立派であり、総理退任を悲しむ。

国連での演説と併せて、後世に残すべきモノであろう。

 

しかし、それを拒もうとする旧安部派の右翼たち、追随するマスコミ。

ポピュリズムに陥らないリベラル。他の意見を尊重し、耳を傾ける重要性。

 

戦後史を学ばねばならぬ。謙虚に。

この2つの映画『宝島』『黒川の女たち』を観た感想。