7月24日(木) MOVIX橋本
ふと思い立って、映画『国宝』を、もう一度見てきた。
週日の昼間の会で、ガラガラかと思ったら案外混んでいて、まだ人気なのね。
夏休みに入って、映画館は子ども達がウロウロしていて、子ども向けの上映は混んでいるのは解るけど、『国宝』はまだ客の入りが悪くない。満席じゃないけど。
上映シアターに入ったら、若い人が多くて、あれ、シアターを間違えたかと、一旦退出する。
初回に見たのは、6月末。
その時は、ふむふむ、なかなか、と思って、2回目見るだろうなと言う気がしていたが、その後、ネットなどで『国宝』が好評で、動員数も多いと聞いて、ひねくれ者のワタクシは、もう見なくていいや、と思っていました。
それが、暑くて、今週は余り予定も入っていなかったので、ふと思い出して、涼みがてら『国宝』でも見てみるか、という感じ。
結果。
良かったです。やはり傑作映画だと思います。
この映画は、歌舞伎役者を演ずる、二人の役者の話。
初回の鑑賞は、二人の主役役者、横浜流星と吉沢亮が、いかに苦労して演じたか、お稽古したかに、注目していた。
今回は、ストーリーもほぼ解っていたこともあり、二人の主役役者が演じる、二人の歌舞伎役者に注目。
吉沢亮が演ずる立花喜久雄(喜久坊)=花井東一郎=3代目花井半次郎。
横浜流星が演じる大垣俊介(俊坊)=花井半弥という、二人の歌舞伎役者。
役者×役者の、どちらの役者に感情移入できるか。
この二人の浮き沈みのストーリー展開の中で、様々取り入れられているエピソードが、一々胸に刺さる。
例えば、2代目花井半次郎が怪我をして、代役を誰にするか。「血」から言えば、俊坊の流れ。が「芸」で、喜久坊が指名される。二人とも衝撃を受けるが、「血」の俊坊の方の衝撃の方が大きい。
喜久坊の「芸」が優れるから。実際にも芸は見事で、それに衝撃を受けて、俊坊は、消え去る。
先日日本芸術院賞を受賞した梅若紀彰師の、受賞理由に、能『姥捨』の代演(人間国宝梅若楼雪の)が取り上げられていることに思いをいたす。あの時も、代演決定までそんなに時間がなかったはず。名演だった。
その他、全部は書かない。
日本の古典芸能は、「血=家」と「芸」が一致できれば幸い、異なることも多くて、それでもこういう制度があったから、何年も続いてきたし、芸の承継もなされてきた。現実。
女形の人間国宝小野川万菊を演ずる、田中泯。一番の名演だと思うけど、彼が薄汚い木賃宿で、ここには美しいモノは何も無いけど、それが楽だと話すシーン。
そんな境遇だけど、ドサ回りしていた喜久坊が、そこを訪れるときは、大先輩で人間国宝への敬意を無くさない。
それだけ、芸の道は厳しくて、尊敬に値する。小野川万菊は、後継者を持たなかったんだろう。一つの「家」を作らなかったんだろう。
帰りに、パンフレットを買ってしまう。
映画のパンフを買ったのは「Perfect Days」以来。あの映画も良かった。一度しか見ていないけど。
更に、別の本を探しに本屋に寄ったら、原作本「国宝」の文庫版上下が平積みされていたので、つい購入してしまう。
吉田修一著で、上巻「青春篇」400頁越え、下巻「花道篇」こちらも400頁越えの大作。
夏の読書に充てましょう。