『玉鬘』を、飽きたという身勝手な理由で強引に卒業させて頂き(合格ではないです、最後まで)、5月から始めたのが、『班女』クセ。
『班女』には、クセと舞アトがあって、調度、謡のお稽古曲でもあって、詞章やら節やら解っているから楽チンだろうという安易な動機。
まずは、クセをやり、次は舞アトにするかと密かに考える。
紀彰先生、芸術院賞受賞とその受賞式のために多忙で、なかなかお手本を舞っていただけないが、お手本無しで、スタート。
3回目のお稽古の時に、その場で録音していただいて、そのまま舞っていただく。
7分程度の曲だけど、とにかくゆっくり、ゆっくり舞うので、形としては少なく、こういうのはワタクシ認知症前段階者には向いている。
何しろ、形が覚えられないのです。道順も。
1番印象に残っているご指導(アドバイス)は、とにかくボーッと、と。
シテは形見の扇を見てばかりで、愛しき人を待つ。
何も考えられずに、とにかく、ボーッとしている様。そういう風に舞う。
いいなあ、こう言うの。
ところが、形や道順は何となく記憶できてきたつもりになると、今度は、2箇所あるシテ謡の詞章が、口から出なくなる。
「さるにても 我が妻の」
と
「せめてもの 形見の扇 手に触れて」
当たり前だけど、五・五と五・七・五。何となく似ていると思いませんか。サ行から始まるし。
あ、間違えそう、と思った瞬間に、頭真っ白。
紀彰先生は授賞式の事前準備や、当日のこと、その後の天皇家との茶話会のことを色々お話しくださる。
秘密事項もある訳で、ここで公表できないけども、お稽古の休憩時間などに、楽しそうに話してくださって、お稽古時間が減っていくんだけど、良いのです、こちらとしても、楽しくお稽古が出来れば良いのですから・・
先日の湯治連泊以来、心は健康を取り戻しているようで、”よ~するに、適当に、好き勝手にすりゃ良いじゃん”、ちゃんとやろうとするから辛いんだって。
いつまで、この心の平穏が続くか。