5月23日(金) MOVIX橋本

原作・脚本:東村アキコ

林明子(漫画家東村アキコの本名):永野芽郁

日高先生(絵画教室の先生・画家):大泉洋

 

別にこの映画をどうしても観たかった訳ではなく、ヒトにお勧めするような映画でもない。

 

最近、ネットやら何やらで、永野芽郁がやたらにバッシングされている。

不倫疑惑だとか二股だとか。

 

不倫だとか、恋愛だとか、異性関係はとにもかくにも、完全にプライベートな問題なので、どうでも良いと思うのだけど、こういう『イジメ』は最近のネット界、芸能界の常であって、非常に腹立たしい。

 

そんなときに、この映画が封切られてその時の永野芽郁の挨拶がどうのこうのとか、詫び方がどうのとか、まったく腹立たしいので、うんじゃあ、映画観てみるか、ということだけ。

 

ストーリーはどうでも良い。映像は綺麗だった。

永野芽郁の演技も下手では無い。

 

考えたんだけど、永野芽郁は、現在25歳で、小学校の頃にスカウトされてこの道に入り、清純派とか、清潔感とかを売り出して、イメージが作られてきて、そういうイメージに従って、CMに出たり、ドラマに出たりしてきて、成長し、人気が出てきたのでしょう。

芸能事務所の成功例。ある意味優等生。

 

しかし、永野芽郁のホントの姿だったんだろうか。

調度この映画は、ホントは漫画家になりたくて一杯だったが、箔を付けるために美大に進学したくて、高校3年生の時に地元の絵画教室に通い始め、日高先生に指導を受け、金沢の美大に合格するも、油絵を楽しんで描くことはできず、卒業して地元=宮﨑に帰っても楽しめず、紆余曲折を経て、東京に出て漫画家として大成するまでの、自伝的な漫画「かくかくしかじか」で、その映画化、その間の日高先生との交流という筋立て。

 

要するに、期待され、作られてきた油絵画家としての道は、実は満足的なモノではなくて、最後は、元々好きだった漫画の世界に入ることができた、ということなんだ。

これって、もしかして、永野芽郁にも当てはまるんじゃないのかな。

 

永野芽郁は、子どもの時から、世間というか芸能事務所の期待は清純、清潔であった。それが、永野芽郁の努力もあって、成功してきて現在に至るのだけど、実は、そんなに清純、清潔派ではなくて、もっと心の中にドロドロしたモノがあるんじゃないのかな。

 

ワタクシは、漫画界のことはな~んにも知らない。東村アキコの名前も知らない。その漫画も読んだこともない。

 

結局、永野芽郁も、自分の好きなことを、したいようにすれば良いんだと思う。回りが、イメージを作って、固めて、生きづらくなってきていたんじゃないかな。

調度そのタイミングで、この映画に巡り会えたのは、最高のタイミングだったかも。

 

一旦ここで、立ち止まって、もう一度原点に返るか、心の深層に思いをいたして、好きなことをして、嫌なことはせずに、自由に行動すれば良いのじゃないかな。

そうすれば、あと何年かして、40歳を過ぎれば、良い女優になれるんじゃないか。

 

嫌なことはやらない、好きなことをやる。世間の目を気にしない。

なんか、我が人生にも重なってきて、映画評論にはならないけど。むしろ、人生論です。