5月20日(火) 国立能楽堂
狂言『布施無経』(大蔵流 山本東次郎家)
シテ(住持)山本東次郎 アド(施主)山本則重
(休憩)
能『雲林院』・世阿弥自筆本による(観世流)
シテ(老人 在原業平)梅若紀彰 後ツレ(二条后)片山九郎右衛門
後ツレ(藤原基経)観世喜正 ワキ(芦屋公光)舘田善博
笛:杉信太朗 小鼓:幸正昭 大鼓:原岡一之 太鼓:大川典良
地頭:山崎正道
面:前シテ老人「三光尉」 後シテ在原業平「中将」 後ツレ二条后「増」
後ツレ藤原基経「邯鄲男」
楽しみにしていて、参加。天気も暑いくらいで、良い。クーラーが効くと寒いので、薄手の夏用ジャケット。
狂言『布施無経』は、何度もだし、先日、5月3日の人間国宝の競演の時に、馬場あき子さんが、好きな狂言は何ですかと質問し、東次郎先生が『布施無経』と答えていたので、期待は十分。
シテの住持は、詞章の中では貧僧と名乗っていて、要するに貧乏なのでした。何となく、欲深な僧侶と思っていたけど、背に腹は代えられない苦悩というか。
楽しみにしていたし、面白かったのだけど、これはいかなこと、ウト、ウト、ウトとしてしまう。
東次郎先生のお舞台で、寝るなんて、初めてのことかも。
能『雲林院』。2回目だが、紀彰先生がシテを勤めるのだし、世阿弥自筆本によると言うことで、必死に予習。
現行曲とは、後場が大きく変わって、ワタクシも舞った『雲林院』のお仕舞いもなくて、まったくイメージは違うのだけど、予習十分なので、ちっとも眠くならない。
お願いして、正面席を確保して頂く。やはり正面席は宜しい。
最初から、大小前に作り物を出す。
囃子方の登場で、笛が杉信太朗さんだと気付く。身体が大きくなって、貫禄が出てきたなあ。1986年生まれ、40歳前か。
前場は、ワキ芦屋公光の登場などから。良い声だなあ。一瞬、宝生常三さんと間違えそうになる。
桜の枝を折るとか折らないとかの問答ばかりで、動きがほとんどない。
紀彰先生も、良いお声で、橋掛かりをゆっくり出てこられて、舞台に入っても、殆ど常座付近。
面をかけていたけど、声ですぐに解る。声がちゃんと出るように回復されていた。
わずかに、サシコミ・ヒラキなどをする以外に、ちょっとも動かずに、立佇んでいられるばかりなのだけど、その動きの無さでも、ビシビシと芸が伝わる。
前シテ老人が「いや 我が名を今は明石潟」とゆっくり、ゆっくり、しかし、情感たっぷりに謡われる。ここはゾゾットする。
地謡も上手で、山崎正道さんの地頭は、良かったと思う。
そして、作り物の中に入り込んで、中入。お着替えするのでしょう。
後場は、後ツレの二条后が登場。片山九郎右衛門先生、お綺麗で、姿も宜しい。
后は笛座前に下に居になる。
太鼓入りの出端に乗って、後ツレ基経の登場。観世喜正先生。
后と基経のロンギになるが、これこそ世阿弥自筆本の構成。
伊勢物語が本説だけど、伊勢物語そのモノが、定まっておらずなので、武蔵野とか春日野とかが出てくるが、予習していれば良く解る。
二条の后が、作り物の中に入り込む。逃げ込んだのか、業平に連れ込まれたのか。
伊勢物語の、各段が、融合して物語っていく。
基経の立ち回りで、暗闇の中を、松明を持って、二条后を探す様子。
この作り物の中こそ怪しいと、探すと、幕が引き下ろされる。
まあ、美しいこと。塚の中には、床几に座る後シテ業平と、横に下に居する二条の后。藤原高子だね。
思わず、綺麗と、回りからも嘆息。一幅の絵画のよう。装束も姿勢も。
基経が后を塚から引き出して、後から出てくる業平と基経の対話。伊勢物語のあちこちが謡われる。
舞台上には、紀彰先生と、九郎右衛門先生、喜正先生のお三方。名人が三人揃うと、素晴らしいこと。
お能は、物語より。役者じゃないかな、と思う。
最後の演出。
平成25年の公演では業平と后が橋掛かりから退場したらしいが、今回の演出では、当初プログラムでは業平と二条后が作り物の塚の中に戻る演出になると紹介されてたが、更に、当日になって、橋掛かりへ退く藤原基経と二条の后を、業平が舞台から見送る演出へと変更された。
こっちの方が断然良いと思う。藤原高子は、基経に取り戻されるのが伊勢物語でしょう。業平と后は別れさせられるのでしょう。
どうやら、2日ほど前に、急遽この演出に変更されたらしい。
どなたが、変更を決めたのか。謎。
平成25年公演に関わり、今回の解説も書かれた天野文雄先生か、シテの紀彰先生か。それとも・・
ともかく、見送る業平が、悲しい。しっとりと、余韻たっぷりで。
静寂の中で、拍手も最後まで出ずに、終了となる。あなうれしや、素晴らしや。
完全に躁転して、元気。イタリアンで美味しく夕食いただき、ワインも何杯か。