5月10日(土) 国立能楽堂
解説 「業平の恋・唐衣をまとう杜若の精」 梅内美華子
狂言『簸屑』(和泉流 狂言共同社)
シテ(太郎冠者)井上松次郎 アド(主)今枝郁雄 アド(次郎冠者)鹿島俊裕
(休憩)
能『杜若』・日陰之糸・増減拍子・盤渉(金剛流)
シテ(杜若の精)種田道一 ワキ(旅僧)野口能弘
笛:杉市和 小鼓:鳥山直也 大鼓:佃良勝 太鼓:梶谷英樹
面:シテ「孫次郎」(満毘 作) 地頭:今井清隆
今月の月間特集は「在原業平生誕一二〇〇年」ということで、今月の主催公演は業平関係の曲が並ぶ。
その初回に組み込まれている解説は、本日の『杜若』の解説。
解説者の梅内美華子さんは、馬場あき子さんの弟子という歌人で、後継者みたいに、楽しく、和歌の話を中心語る。
『伊勢物語』は、和歌の話が多い。
面白かった。
狂言『簸屑』は、業平とは無関係。
宇治橋の橋供養に沢山の道者が訪れるだろうことへの、接待として、茶を振る舞おうとするアド主。良い茶葉ではなくて、残った簸屑の茶を挽いて接待しようと。
その茶引きがゆっくり引かねばならず、退屈で眠くなる。
めんどくさがりやのシテ太郎冠者は、引きながら寝てしまう。帰ってきた次郎冠者が起こしてやろうとしても無駄。そこで、次郎冠者が、寝込んでいる太郎冠者に、鬼の面を被せてしまうと言う悪戯。
帰ってきた主がビックリして追い出そうとする。次郎冠者にもそう命ずるが、そのうち鬼の面が取れてしまって、いたずらに気づく太郎冠者。追い込む。
余り曲名と関係ないお話。
昔、客の来ない遊女に罰としてこの退屈な労務を強いたことから、水商売で客の来ないこと今も「お茶を挽く」と称するのだそう。今月のプログラムに書いてあった。村上湛氏。
能『杜若』、もう6回目。
内容は書かない。伊勢物語を本説とする(とのこと)。
問題は、というか興味が湧いたのはその「伊勢物語」。古今和歌集と並ぶ歌道の聖典で、様々なお家の独自の和歌解釈が行われ、それが秘伝とされて、独善的内容となっていく。例えば「秘伝書 和歌知顕集」。あるいは「冷泉家流伊勢物語抄」。
これらの秘説が、本曲の本説になっているとのこと。
だから、とても業平のこととは思われないような段も、業平とこじつけられたりする。
これも、プログラムの村上湛氏の解説による。初めて知った。
『井筒』も『雲林院』も、平安期の原典ではなく、かような歌道秘説に由来するのだとか。
伊勢物語を読んでみようか。
舞について、ちょっと。最後の序ノ舞の部分が、小書きで盤渉になって、太鼓も入って、大いに盛り上がる。
シテの種田さん。しっかり舞っておられました。金剛流らしいのか、良かった。
また今月号のプログラムには、大井田晴彦氏による「井筒の恋ー『伊勢物語』二十三段から謡曲「井筒」へー」との論考が掲載されていて、主として、『井筒』と伊勢物語の関係が論じられている。
これが素晴らし研究書。
やはり、伊勢物語を読んでみようか。
大好きな中庭。雨上がりで、ミヤギノハギが葉が多くなってきていたが、その葉に滴が乗り、光線の関係で光って見えて、とても綺麗。葉の上に、宝石が散りばめられるよう。素敵。
不安神経症。双極性。
将来のことを考えると、マイナスにしかならない。今だけを、今の時間だけを楽しめる。こういう時間が精神的安定に繋がるのでしょう。
うつ状態が若干でも改善されて、躁向きになれて、夕食は、つい食べてしまう、飲んでしまう。それまで、まったく空腹を感じなかったのに。