4月30日(水) 国際版画美術館
何となく版画=浮世絵を思い浮かべて、なんと言うことなく出かけた。
町田市の国際版画美術館は、町田駅から徒歩圏内で、芹が谷公園の端にある。何度か出かけている。
天気も良いし。
第1章:版と祈りー日本絵画のあけぼの
舶来の仏教美術のこと。
舶来の仏像の胎内などに、仏画の版画が埋蔵されていると。
そうか、江戸時代の浮世絵なんてモノのずっと昔から、仏教絵は、肉筆ではなくて、版画なんだ。同じ姿勢の仏画版画が、埋蔵されている。
多くは、墨擦。
第2章:出版文化の隆盛ー拡散するイメージとその受容
イエズス会がキリスト教布教目的で、布教を契機にして版画を刷り、それが中国、日本へと伝来した。
そうなんだよね。肉筆画ばかりでのハズがない。
ここで和刻が登場。
第3章:変わり続ける浮世絵ー舶来文化の吸収と再創造
歌川豊春とか、広重、葛飾北斎など。
そうか。浮世絵=版画の固定イメージにとらわれていた。浮世絵は、「浮世」の絵であって、肉筆もあれば版画もあるんだ。当たり前だけどね。固定した頭になってしまっていた。
原画は肉筆だけど、それを刻って、擦って。
錦絵は、綺麗に色を使って擦ったモノ。多色擦りというのもあるが、違いは良く解らん。が、何だか、頭がクリアになってくる。
第4章:創作版画と新版画ー両洋の眼・浮世絵の超克
自画・自刻・自擦を目標としつつ、従来の分業手法も取り入れて。リトグラフなども入ってくる。
西洋画との接点。
第5章:版画誌がつなぐネットワークー日本と中国の「創作版画」
版画を美術のジャンルとして捉えてくる。
この辺りから展示はあまり面白くなくなる。
第6章:占領下における新しい版画の胎動ー中央と地方、モダニズムとリアリズムの往還
無着成恭など。
第7章:国際版画展の季節ー版画の国を広め育てる。
棟方志功など。
全体的に、考えてみれば、仏教画にしても全部が肉筆の訳がなくて印刷物を用いての説法や、祈りになるはず。当たり前なんだけど。
解体新書にしても、模写じゃなくて、印刷物、版画印刷なんだよね。多分。
無意識的な、固定観念は恐ろしい。
皆さんは、そんなの常識だったのかも知れないが、ワタクシには、当たり前のハズだけど、無意識でした。
源氏物語の時代は、模写で、仏画も模写であっただろう。それが庶民階級に普及してくるに従って、印刷されて大量発行になる訳で、印刷手段は、版画だったのでしょう。
その印刷、版画の出元は、中国からの伝来仏画でした。
それが日本に持ち込まれて、和刻ができるようになって、発展していく。
ほんのちょっと前迄、活版印刷が多かったけど、それも版画と言えば、版画。
半世紀前、学生運動をしていたとき、ビラや研究書をガリ版印刷で擦っていた。なぜだか、ムスケルと呼んでいた。
夜中の学生寮の1室で、ガリを切り、1枚ずつ擦っていく。
そんなことが、思い出されて、その手段が歴史の一幕になっていたんだ、と。
何だか、新しい発見のような気がして、面白い展覧会でした。
版画美術館の後、芹が谷公園を散策。結構広い。
町田駅の近くに、こんなに広い公園があって、水の流れや雑木林。単なる広場。こどもの自由な遊び場。
良いとこだね。
広場に面したベンチで座ってのんびりする爺化してしまうワタクシ、71歳。
帰りに、安~い中華で、餃子と冷やし中華で、ウーロンハイを飲む。1550円くらい。
満腹する。
今は、とにかく安さに満足する。不安神経症。
心の安定を求める。
高等遊民じゃないね。ジタバタ爺。