3月8日(土) 国立能楽堂

解説 「身分違いの恋の説話と恋重荷」

狂言『八句連歌』(大蔵流 山本東次郎家)

能『恋重荷』(観世流 観世会)

 

寒い、寒い日。このところの急激な気候変動(気圧、気温)により、体調がおかしくなっており、楽しみな能会にも、足が進まない。

でも、出かける。ケチだから。帰りは降雪。

 

解説は、どこかの大学の先生。つまらん。熟睡。

 

狂言『八句連歌』。

東次郎先生の舞台の拝見は久しぶりの気がする。見たところお元気で、まだまだ問題なしの素晴らしさ。台詞も所作も。

人間国宝の価値あり。

凜太郎さん、1993年生まれだから、もう32歳。立派な独り立ち。

東次郎家は、三世代が纏まっていて、良いなあ。芸も、皆しっかりしているし。

 

『八句連歌』は、アド亭主が貸金の催促をシテ何某にするが、連歌が好きなことを知っており、元々は仲良しなんでしょう、連歌の遊びに入ってしまう。が、その文句は、金の催促やら待ってくれとの意味を込めた、頭脳プレー。

最後は、借金証文を返してもらい、破り捨てるシテ何某。しかし、単純に喜んではいない。自尊心が。

東次郎家は、安心して観ていられる。が、ちょっとウトウトしました。安心出来るからです、とは、自尊心を持った言い訳。

 

能『恋重荷』、2回目で、前回は2022年2月の式能にて、金春流。観世流は初めて。

意味的に、まったく違う曲ではないか、との印象。勿論ストー-リーはほぼ同じだけど。

ちょっとした悪戯をしたツレ女御の反省に重点か、怒りに燃えるシテ山科荘司の復習に重点を置くか、かな。

 

きらびやかな装束と冠モノで登場するツレを見て、ハッとしたんだけど、「女御」って、あの天皇家の後宮にいる女御だよね。

源氏物語の最初、「あまた女御、更衣さむらいけるなかに・・」とあるあの「女御」なんだ、と初めて気が付く。

ワキ臣下とあるも、白川院の臣下で、要するに、極めて身分の高い人たち。

大体そんな「女御」が顔を見せるなんて、高級貴族相手でもない限りありえない。

それが、身分の賤しい庭掃除人を相手にしているのだ。

その身分差が、問題なのだ。

単なる上﨟といった女性かと勘違いしていた。

 

チラと垣間見てしまったシテ庄司が、恋にも似た感情を抱いたのを知ったツレ女御は、荷を千度百度担いだら、もう一度顔を見せても良いと欺き、しかも絶対に持ち上げられない、重い巌を金襴緞子で囲う荷。

悪戯心などではなくて、完全な、悪意の虐め。

真に受けた順良なシテ庄司は、持ち上げられずに、死んでしまう。

その復讐で怨霊と化したのが、後シテなのです。恋のために死んだのではなくて、虐められて死んだ。

懲り給え、懲り給えと、地謡。

それなのに、最後は、葉守の神となって、そんな女御の影を守るんだと。

 

勿論、恋の側面もある。重荷は、思うと重いがかかる。そういう荷。ずっと正先にあるが、いかにも重そう。後見が運んでくるときも、下げるときも。

 

う~ん。観世流はそういう曲だったのか。今回の演出だったのかも知れないけど・・。

新しい発見でした。眠くならず。

シテの観世恭秀さん、1942年生まれで、80歳を超えている観世流の重鎮。フラついて手を付いてしまう場面もあったが、気にならず。

主後見が、観世家元。人間国宝の小鼓大倉源次郎、文化功労者のワキ福王茂十郎。

全員上下付けて。

 

大好きな中庭。相変わらず冬景色。そこで一句。

「冬枯れの 中庭なるか 老いの舞 松の緑 苔の深緑」

そんな舞がしたいなあ。老の花。

 

 

<役割・面>

狂言『八句連歌』(大蔵流 山本東次郎家)

 シテ(何某)山本東次郎 アド(亭主)山本凜太郎

能『恋重荷』(観世流 観世会)

 シテ(山村荘司 その怨霊)観世恭秀 ツレ(女御)坂井音雅

 ワキ(臣下)福王茂十郎 アイ(下人)山本泰太郎

 笛:藤田次郎 小鼓:大倉源次郎 大鼓:國川純 太鼓:小寺真佐人

 地頭:岡久広

 面:前シテ「阿古父尉」 後シテ「重荷悪尉」 ツレ「小面」