12月15日(日) 梅若能楽学院会館
素謡 『鉢木』
シテ(佐野常世)内藤幸雄 ツレ(常世の妻)土田英貴 ワキ(最明寺時頼)角当行雄
ワキツレ(時頼の侍臣)小田切康陽 地頭:梅若長左衛門
舞囃子 『富士太鼓』
シテ:山村庸子
笛:八反田智子 小鼓:鵜澤洋太郎 大鼓:安福光雄
地頭:山崎正道
狂言 『栗焼』(和泉流 野村万作の会)
シテ(太郎冠者)石田幸雄 アド(主人)岡聡史
(休憩)
能 『巻絹』
シテ(音無の巫女)富田雅子 ツレ(都人)伶以野陽子 ワキ(勅使)野口琢弘
アイ(勅使の供人)野村太一郎 地頭:角当直隆
連日となる能会は、段々苦しくなってきて、サボろうかと前夜から真剣に考えていた、素謡は面白くないだろうから寝るなあ、能『巻絹』も女流だし、もう良いかな、なんて。
でも、勿体ないからと朝になると行く気になって、早起きして前日のブログなんて書いちゃって、いそいそと出かける。でも、この時点でも、まあゆっくり寝ればいいや、と。
ところが、行ってみたら、ビックリ、一睡もせず、見入ってしまったのでした。
考えてみたら、玄人の素謡は、初体験かも。FM能楽堂や、CDでは聴くが・・。
素人の素謡は、楽しかった記憶が無い。
素謡とは、能の1曲全部を、謡だけで演ずる(というか謡う)もの。今回の『鉢木』も60分もかかる。
寝ても良いけど、まったく解らないのもなあ、と、会館会場に着くと、梅若謡本『鉢木』を購入。ざっと目を通すが、まあ、ストーリーの確認程度。
ワキ最明寺時頼が、諸国を旅しているとき、雪に閉ざされて、無理を言って泊めて貰ったのがシテ佐野常世のボロ宅。もともとは地方豪族であったが、裏切られて零落している。寒さしのぎもないので、シテ佐野常世が鉢植えした大事の桜などを、切ってしまって、暖を取らせる。零落したが、いざ鎌倉となれば、駆けつけるのだ、と話す。
しばらくして、いざ鎌倉の伝達。シテ佐野常世は、ボロの武具や馬で駆けつけると、そこに待っていたのは、最明寺入道時頼。先の執権だ。ホントに佐野常世が来るか試したのだという。
喜んだ時頼は、三か庄を与えて、常世は喜び勇んで帰国する。
武士道の話で、戦前までは流行った曲。
これを、黒紋付き袴姿で、座ったまま、謡い一本でやる。
謡の実力発揮という訳。装束も面もなく、動きも舞いもないので、ほんとに謡だけで情景が浮かばねばならぬ。
それを、シテ役の内藤さん、御御足が悪くて、舞えないので、いつも謡だけの方。それだけに、却って、謡の力があったのだ。
勿論他の出演者もしっかりと謡う。
いつも紀彰先生に、言葉が並ぶだの、感情がこもっていないだのと指導されているが、あれまあ、今回の素謡は素晴らしい。聴き惚れた。
ちゃ~んと、意味が通じるように謡うのですよ。気持ちが込められて謡うのですよ。しかも60分もの長丁場。謡い続ける。記憶力も大したもん。ワタクシは、本を観ているからね。無本では、素人は謡えない。
出だしで、ワキがちょこっと絶句しただけ。ベテランの角当行雄さん。ほぼ、謡本通りにきちんと謡う皆さん。
まあ、驚いた。勉強になった。
ある意味、能よりも、難しいとも言えそう。これを成し遂げたことに、拍手を惜しまない。
ウトッともしなかった。お目々ぱっちり。
舞囃子『富士太鼓』。
これも良かったなあ。『富士太鼓』は、謡のお稽古して、キリは仲間が仕舞のお稽古をした曲。舞囃子としては、初見かどうかの記憶は無い。きっと観ていても記憶に残っていないのだろう。
でも、今回は良かった。
山村庸子先生は、以前、何かの発表会か御稽古会の時に、着付けをしていただいて、その着心地の良さに驚いて、さすが玄人と思って、何となく親近感もあった。
きちんと舞っていて、拍も正確で、姿勢も宜しい。ズレない。
最後は、汗びっしょりになって舞っておられて、大変なんだろうなあ、と。
面を付けていないことは、顔隠しにならないという意味もあるので、難しい面もある。目をキョロキョロさせてはいけないし。
ちょこっと、舞囃子もやってみようかな、なんても思ったりして。
でも、高額の費用がかかるので、年金生活者には無理無理。
謡と仕舞、舞囃子と進んで、何年かお稽古重ねてからお能に進むんだろう。きっと楽しいとは思うけど、年金生活者には無理無理。破産してしまう。70過ぎの高齢者には体力的にも、無理。
秀吉が、晩年、短期間で、お能10番を舞えるようになったというのは、驚異的であるが、やはり資力の問題もあるでしょう。
狂言『栗焼』、久しぶりだ。美味しそうに、栗が焼き上がる。殆どシテの一人芝居で、石田幸雄さんの名演技。
能『巻絹』、4回目かな。2023年2月の2回目も、梅若定式能で拝見している。その時のおシテは山村庸子さんだった。
今回も、女流がシテ。ツレも女流。
絹を熊野に奉納せよという宣旨に、遅参してしまうツレ都人。それは途中の音無の神に参詣していたから。
縛められるが、シテ音無の巫女が登場して、参詣していたのだから、許せと。
参詣した証拠に、その時にツレが詠んだ和歌を、上の句、下の句に分けて読む。縛めを解かれる。
それを寿いで、シテが舞う。
和歌の徳と、舞の曲。
これも、キリを仲間が仕舞お稽古でやった曲。親近感はある。
梅若だからというのもある。
シテの舞が、最後ちょっと乱れたが、適切に後見が支えて、何事も無きように仕上げた。
舞囃子にせよ、特に能1曲は、疲労してしまうモノ。ワタクシなど、現在お稽古中の『野宮』キリの仕舞だけで、7分だけで、太ももが痛くなってしまう。
脚に力が入らないと、身体がブレるし、キチッと立つことすら出来なくなってしまう。
女流のシテ方は、どうなのかな、と思っていた時期もあったが、謡の声はどうしようも無いが、舞は、ワタクシにとって良きお勉強になる。ちゃんと、型を決めて舞ってくれればね。お稽古している者にとっては、身近。
梅若楼雪先生が、まったく神体が動けない中で、紀彰先生が事実上指導しておられるのではないか。演技の上で。芸の上で。
梅若会の定式能は、鑑賞の面もあるが、お勉強の面もあって、宜しい。
来年の定式も、通うか。
案内で、今年最後の定式能、とのこと。
あれ?1月には定式能やるんじゃないの?3月には、別会もあるじゃないの?
来年1月には、紀彰先生が『翁』を舞われる。景英君が『小鍛冶』を。