12月14日(土) 国立能楽堂

解説 「恋愛妄執物の源流」 小田幸子(能狂言研究家)

狂言 『察化』 (大蔵流 茂山千之丞家)

 シテ(太郎冠者)松本薫 アド(主)島田洋海 アド(察化)茂山あきら

(休憩)

能 『通小町』 (金剛流)

 シテ(深草少将)豊嶋彌左衞門 ツレ(小野小町)豊嶋幸洋 ワキ(僧)飯冨雅介

 笛:槻宅聡 小鼓:鳥山直也 大鼓:佃良勝 地頭:松野恭憲

 面:シテ「痩男」 ツレ「小面」

 

寒い。最大限に近い防寒着。大柄なコートが邪魔になって、10円取りきりのコインロッカーが満員になる。見所席にはコートを抱えたまま、あるいは着込んだままの方も見える。大きな首回りのファーを着た方も前方に居られ、狂言は椅子にもたれ込んで寝ていたから良かったが、能の時には、大きな首ファーが後ろの席に懸かってしまい、国立能楽堂の液晶パネルが見にくくなっている。

ワタクシの隣だけど、気になって仕方が無い。

 

解説の題名にはあれこれあるが、要は、『通小町』の解説で、つまらない。”普及”公演だから仕方ないのか。

 

狂言『察化』。太郎冠者が「見乞いの察化」という有名すっぱに騙されるのはいつも通り。

どうして名前が「察化」なんだろう。

この曲は、主の言うままに、一言一句そのまますっぱをもてなす、というか、すっぱをなぶるというかするのだけど、拝見しながらワタクシの狂言の教科書である、山本東次郎先生の『狂言のことだま』を思い出す。

狂言は、すべからく、人間心理の劇なんだ、と。

じゃあ、この『察化』は、何か。良く解らない。

 

パンフに載っていたアド察化役の網谷正美師、ご逝去により、配役変更との表示。茂山あきらに。1944年生まれで、77歳か。もうすぐワタクシも死んじゃうんだ。

 

能『通小町』、5回目だけど、金剛流は始めて。

まあ、ストーリーは、凄まじくて、しれっと成仏したい小野小町を、百夜通いで死んでしまった深草少将が恨んで、これを引き留める。

金剛流は、割と仕方的にストレートな印象で、実際に舞台上で小野小町の袖をつかんで、僧の近くに寄せないようにする。それでも、わたし知らないモンねと言うように僧近くに行ってしまい、状況を見ている小町。

この2人のギャップ。

金剛流は、『葵上』でも、実際に小袖の葵上を、正中先から取り上げるんだったなあ。

 

前場の木の実が様々登場する意味が、未だ良くわからないけど、どうも改作を重ねて現代に至っているらしく、もともとは後場しか無かったとか。少しは、小野小町をしおらしく見せるために、僧の元に通わせる為の作戦か。あの後場だけじゃ、単にひで~女、になっちゃうからか。

シテ深草少将の豊嶋彌左衞門さん、1939年生まれで85歳か。これは驚嘆するが、やはり足下は覚束なくて、何度も後見が出てきて、立ち上がる際の介添えを行う。それでも、しっかり舞う。そんなに大きな舞ではないが。声もまあまあ聞こえる。

同じく、地頭の松野恭憲さんも、同年生まれで、高齢のシテ方と高齢の地頭の組み合わせ。地謡の出入りに時間がかかる。

立派。ワタクシも、まだ死なないか。

 

後場のシテ深草少将の壮絶な様が、面とかでも良く解るが、確かに壮絶だよね。突然、手を取り合って、仏道に入る。唐突だけど、まあ良いか。

 

中庭は、ミヤギノハギが盛りを過ぎて、最早花もない。ツワブキは満開に近い。綺麗な黄色。モミジの紅葉は今年はダメだね。くすんでしまった。千駄ヶ谷駅前のイチョウも黄葉を落とす。

冬真っ盛り。