11月15日(金) 国立能楽堂
狂言『箕被』 (和泉流 野村万蔵家)
シテ(夫)野村萬 アド(妻)野村万蔵
(休憩)
復曲能 『実方』 (観世流 銕仙会)
シテ(藤原実方の霊)大槻文藏 ワキ(西行法師)宝生欣哉 アイ(所ノ者)茂山千五郎
笛:竹市学 小鼓:大倉源次郎 大鼓:山本哲也 太鼓:前川光長
地頭:浅井文義
面:前シテ「小尉」 後シテ「皺尉」
今月3回目の国立能楽堂。あと1回あるノだ。
◎水面に浮かぶ老木の花、という題の付いた企画公演。能のこと。
狂言『箕被』。みかずき、と読みます。米の殻をふるい落とす箕(極めて日常的な品)を被る、ということ。
連歌が大好きで、お金もないのに会を催したいシテ、貧乏だからダメだというアド妻、高尚な趣味の世界に世俗を持ち込むなと怒るシテ。ついにアド妻を離縁すると言いだし、その印に、持っていかせるのが、極めて日常の、つまり下賤の箕というわけ。それを被って家を出ようとするアド妻。
ちょっと上の句を告げるシテ夫。普段はしないのに下の句を返歌するアド妻。その出来が良いので、仲直りというストーリー。
何回も観ていますが、曲名と照らすと、良くわかりますね。
シテの野村萬師。94歳の人間国宝。狂言界では最高齢じゃないのか。声も出ていて、動きもしっかり。存在だけで、舞台が締まる。さすが・・
万蔵師、体調をくずしていたが、身体が一回り小さくなった感じ。
復曲能『実方』、初見。
2017年、大槻能楽堂自主公演で作られた新版の再演。節付けも大槻文藏師。監修の村上堪氏も会場に来ておられた。
実方って、良く知らなかったんですが、藤原実方。平安期の上級貴族で、和歌も舞も巧く、顔立ちも優れていたからモテモテで、光源氏のモデルではないかとの噂も。
その実方が、内裏で問題を起こし、陸奥に飛ばされて、そこで頓死してしまう。間狂言では、神前を馬で歩いたら、落馬して死んだとか。『蟻通』みたい。史実的には諸説あるらしい。
宮城県名取市に墓(塚)がある。
そこを訪れたワキ西行法師。「朽ちもせぬ その名ばかりを 残し置きて 枯野の薄 かたみとぞなる」と詠む。これは、新古今和歌集の西行の歌。その題に、実方の塚が出てくるので、この和歌を詠むということは、説明なくとも実方の墓・塚ということがわかる仕組み。アイの所ノ者に聞くんだけどね。
弔っていると、夢の中に後シテが現れて、かつての都での様子を見せるが、水面に映る自己の姿を見ると、老体で、無残な姿というわけ。
感動してしまっただけど、上手に表現出来ない。我が文章能力に落胆。
まず、囃子方の登場で、源次郎先生が、例の如く右手をピタ・キチッと添えて、左手をくの字に曲げて道具を持ちながら、ゆったりと入場してくると、それだけで、舞台が締まる、緊張感。
大槻文藏師の素晴らしさ。82歳だと思うけど。謡いも、舞も。
舞はいずれも極めてゆっくりした舞なのだ。これは超難しい。ボクなんか、5分もやったら脚がプルプルしてしまうが、それを後場ではずっと。クセの舞、序ノ舞、破ノ舞。
驚嘆すべきことです。乱れないのですよ。
後シテの装束にも、主題が見える。長い白髪の上に、貴族の冠。美しい装束。白い皺の尉面。つまり、見かけはかつての青年モテモテ貴族なのに、すでに、老人となってしまった。そこが、光源氏とは違うところ。
橋掛かりに座って、欄干から下を見る、つまり水面を見ると、そこに映った我が姿は・・。「老衰の影」「寄するは老波」「乱るるは白髪」という詞章。
ゾクゾクッとする。
最後は、「跡弔ひ給へ西行」と、体言留め。ぐっと来ますね。『野宮』の最後みたい。
最後に下がるときも、見所も理解して、ゆっくり下がっていくのを余韻を持って静かに見守る。見所と舞台が一体になる。
そういう緊張感を出せるところが、大槻文藏師の凄いところ。
名曲で、名役者で、凄い。感動の舞台でした。
これだから、知らない曲でも、能を観た方が良い。出演者には気をつけた方が良い。
夜の、暗くなった中庭もなかなか。ツワブキが、更に開花。