10月20日(日) 梅若能楽学院会館
能 『菊慈童』・遊舞之楽
シテ(慈童)梅若紀彰 ワキ(勅使)則久英志
笛:松田弘之 小鼓:森澤勇司 大鼓:大倉慶乃助 太鼓:林雄一郎
地頭:松山隆雄
狂言 『棒縛』 (大藏流 山本東次郎家)
シテ(次郎冠者)山本則孝 アド(主人)山本凜太郎 アド(太郎冠者)山本則秀
仕舞
『道明寺』 梅若長左衛門
『松蟲』クセ 松山隆之
『江口』キリ 小田切康陽
『龍田』キリ 土田英貴
『山姥』キリ 角当直隆
(休憩)
能 『船弁慶』・前後之替
シテ(静 平知盛ノ怨霊)伶以野陽子 子方(源義経)松山結美 ワキ(武蔵坊弁慶)野口能弘
アイ(船頭)山本泰太郎
笛:栗林祐輔 小鼓:飯冨孔明 大鼓:柿原弘和 太鼓:姥浦理沙 地頭:小田切康陽
能『菊慈童』(流派によっては枕慈童)・遊舞之楽。
3回目。
謡と仕舞はお稽古済。しかも、師匠である紀彰先生がおシテなので、正面席で拝見。大名席では初めて。
楽の舞が入るのは、先日の国立能楽堂での『天鼓』と同じで、小書きにより、こちらも同様に盤渉調になっていると言うが、盤渉調と黄鐘調の区別は出来ない無能者。
まあ、とにかく、音調が高くなり、必然的に華やかさが増すということか。
梅若会では面の紹介は無いのだけど、『天鼓』の時の面とは違うとのこと。
装束も綺麗でした。
何よりも、紀彰師の舞は素晴らしい。
堪能したが、曲が半能形式で、短すぎる。もっと観ていたい、と我が儘。
余談だけど、慈童が700年も隠れ生きていた”れっ縣山”、漢字が出ないのだけど、麗遍におおざと、Aトック文字パレットならば出るのだけど、この読み方。一般的には「れっけんざん」なのかも知れず、今回定式のチラシには、わざわざ「れっけんざん」と読み方が書いてある。
ところが、少なくとも梅若謡本には、「れっけんざん」とフリが書いてある。紀彰先生のお稽古でも、「れっけんざん」と読まれていて、弟子としてはそのまま理解していたんだけど、「れっけんざん」なのか『てっけんざん」なのか。
今日の、謡では「れっけんざん」と聞こえました。
能ドットコムでは、”酈縣山(れっけんざん/てっけんざん)”との記載があって、どっちでも正解なのかしら。もともと中国語だからかな。
狂言『棒縛』は、何だか久しぶりの東次郎家。東次郎先生はお姿が見えなかったが。大丈夫かしら。
東次郎家のお狂言は安心出来る。
どうしてシテが次郎冠者なのだろうか。棒で縛られるのが次郎冠者だからかな。
仕舞5曲。
今回は全員男性。中堅からベテランで、全員上手なはずなのに。
『山姥』キリは、この前高松で、雨中の薪能おまけで、紀彰師の極めて印象的な素晴らしい仕舞を観てしまったので、どうしても比較してしまって。
こちらのお稽古も進んできていて、型もよく見えるようになってきた。
能『船弁慶』は、なんと7回目。
シテの伶以野陽子さん、先日の高松・栗林公園薪能で自信を付けたか、成長した気がする。舞の型は、きっと紀彰先生のお教えなのでしょう。
前シテの静の舞、ワタシも舞ったことのある「然るに勾践な」で始まる部分、そうそう、紀彰先生の教えによる舞ではなかろうか。美しく舞えていたと思います。
後シテの、知盛ノ幽霊。長刀を振り回す舞。長刀も重いし、装束もあるから、大変な舞だけど、あそこは、“怖く”無ければならない。ぐぐっと、子方義経を睨むのだが、その迫力がやや欠けたか。
子方の松山結美さん、すくすくと大きくなって、背丈だけ見ると後シテと変わらないよう。それとも、伶以野さんが、優しすぎるのか、子方義経をやっつける気概が今ひとつ感じられない。
前シテ静の舞が美しかっただけに、チト残念。
毎回配られる楼雪先生の演目解説でも、「父が演じる知盛の怖いことと言ったら!父と対峙しながらいつ本当におそいかかられるかとヒヤヒヤしたのを覚えています。」とあるように、怖くなくちゃ。紀彰先生もお稽古の時、ググッと睨むんだ、と仰っていた。女流でも、優雅な知守幽霊はない。長刀を構えて睨むとき、頭を一つグッと義経に向けるだけでも違うはず。
やはり、梅若の定式は勉強になるし、楽しい。特に習った演目がかかると、良い。
来月は、別会で、『清経』と『当麻』。『花筐』との1年分の年間予定予告だったのに、いつの間にか『当麻』に変更になっている。