9月26日(木) 国立能楽堂
狂言 『磁石』 (和泉流 野村万作の会)
シテ(すっぱ)野村萬斎 アド(見付の者)内藤連 小アド(茶屋)月崎晴夫
(休憩)
能 『竹生島』 (金春流)
シテ(老翁 龍神)金春安明 ツレ(女 弁財天)金春憲和 ワキ(臣下)野口能弘
アイ(社人)深田博治
笛:藤田次郎 小鼓:田邊恭資 大鼓:亀井実 太鼓:吉谷潔 地頭:高橋忍
面:前シテ「三光尉」 後シテ「黒髭」 ツレ「小面」
突然暑くなった日。
◎蝋燭の灯りによる との副題付きの企画公演。
なかなかムードありそうだけど、ホントに蝋燭しか灯りがない。
見所が真っ暗になるのもまあ良いか。よく知った演目だし。
液晶パネルの字幕表示もない。よく見たらそういう注意書きもあった。
困ったのは、舞台にも灯りがまったくないこと。
役者の顔も、勿論装束も、面もまったく見えない。
狂言『磁石』のすっぱは、当初発表石田幸雄だったのが、当日発表野村萬斎に交替で、交替自体は良いのだけど、野村萬斎の特徴ある声を聴いて初めて、萬斎の出演がわかると言うくらい。
能『竹生島』も、素謡で全部習ったし、仕舞でも舞ったことがあって、馴染みが深く、調子の良い楽しい曲なのに、囃子方は勿論、地謡も顔が全然見えず、シテもツレも、ワキも、誰だか解らない。面も、冠ものも、装束も解らない。面も解らない。
要するに、お能を、舞台を拝見するのではなくて、生演奏で聴いているだけ。
これじゃあ、つまらない。
せめて、舞台上の灯りだけでも、薄暗くても良いけど点けたらどうなのさ。
能の魅力は、演奏だけじゃないのですよ。
上に、使用された面を書いてあるけど、終演後に玄関に表示されていたものに過ぎない。
我が机の目の前に、国立能楽堂のカレンダーが貼ってあって、愛用しているのだけど、ちゃんと舞台の様子が見えるでしょうよ。
つまらん。この蝋燭能は、失敗。
ほとんど寝ていました。暗いからよく眠れる。
これは、クレームです。能楽の公演になっていない。