7月2回目のお稽古で、無理無理『葵上』枕ノ段に合格を頂いて、新しい曲に。
紀彰先生は、難しいよ、長いよ、とお勧めではないようだったけど、これも無理を聞いて頂いて、『野宮』キリにしたのでした。
ここのところ、「源氏物語」シリーズの仕舞を教えて頂いて、『夕顔』→『半蔀』クセ→『半蔀』キリと来て、夕顔3曲を楽しんだ。
源氏物語の中でも夕顔は、取り分け男子に人気のある女性ではないか。その可愛らしさ、儚さ。
次いで、『葵上』枕ノ段でした。
主役は、六条御息所。葵上は、舞台正先に置かれた小袖のみ。
生き霊となってしまった六条御息所。
しかしこれは、あまり私には合わなかったような気がする。あそこまで、他人を嫉妬し、殺そうとまでする情念がどうも共感出来ない。
仕舞の型で、怨みを現すのが十分に出来ない。根がサッパリしているのかも知れない。
早々に卒業させて頂いて、『野宮』にしたのでした。
『野宮』は、娘が伊勢の斎宮に下向するに伴って、親の御息所も一緒に行くことに決め、その精進潔斎のために嵯峨の野宮に籠もっているところに、あの光源氏が訪ねてくるのだ。
もともと、野宮に籠もるのは、伊勢に行くのも、本心は光源氏との仲を完全に断ち切ろうという決意からであったのだろう。
それなのに、いい加減な光源氏は、9月7日に、訪ねてきて、御息所は断れば良いものを、段々と迫ってくる光源氏に押されて直接会ってしまう。
それでも昔話でもしていれば良かったものを、この一夜に、二人に肉体関係があったか。
「源氏物語」には露骨の表現はない(と思う)が、翌朝に後朝(きぬぎぬ)の文を出すところから、関係があったと推測されるのだろう。
それを、結局受け入れてしまった御息所。
そういう御息所の心象風景が、仕舞の成否にかかってくるはず。気持ちを込めた仕舞が舞えるかどうか。
そもそも、御息所は、名前ではない。皇太子の妃などを表す。
そのような高貴で、プライドもあって、教養も十分にある女性が、源氏物語の六条御息所。
光源氏より8歳くらい年上。
六条に館を構えたのだろう。もと皇太子妃なので、あばら屋ではなく、それなりの格式を持った屋敷ではあろうが、場所は六条。
あの夕顔だって、五条だったはず。
皇太子を失って、大した後ろ盾もなくて、ある意味孤立したさみしい生活を送っていた。が、教養とプライドはありあまる。世間の注目も浴びている。
そこに若い光源氏が目を付けて、通うようになる。
一時は結婚するかもとまで噂されるが、光源氏の足は遠のく。まだ、若くて遊びたかったのと、やはり藤壺への憧れからだろうか。
例の車争いの屈辱は、葵上への怨みより、光源氏への疑いであり、そこまで落ちぶれてしまった悔しさ。
生き霊となってしまった自らを恥じている。
その六条御息所が、最後の一夜を共にするのが、『野宮』。
ホントに契りを結んだのだろうか。
黒木の鳥居を出入る、結局出ない。火宅の門を、本心出られたのか。迷いの心。
良いねえ。こういう御息所、大好き。
『葵上』の御息所を経て、『野宮』の御息所になる。
『野宮』は、良いねえ。名曲ですね。
これは、しっかり、気持ちを込めて舞たいものだ。
型は、新しいのはあるけど、難しくはない。難しいのは、詞章だ。しっかりと、深く読み込んで、シテ謡は心を込めて謡って、その心で舞わねばならぬ。
難曲。とにかく、現在は、先生のお手本は見続けるも、その前に、シテ謡だけではなくて、地謡も含めて詞章を全部暗記せねばならぬ。
8月1回目のお稽古で、お手本を舞って頂き、一緒に舞って頂いた上で、先日2回目のお稽古しただけ。
まだ、未定だけど、来年1月に梅栄会という社中の正式な会があるよう。まだ時間はあるので、一杯お稽古して、『野宮』を満足的に舞いたい。