7月25日(木) 国立能楽堂
狂言『鬼瓦』(大蔵流 山本東次郎家)
シテ(大名)山本則孝 アド(太郎冠者)山本則重
(休憩)
能『定家』・袖神楽・六道・埋留 (金剛流 宗家)
シテ(里の女 式子内親王の霊)金剛永謹 ワキ(旅僧)福王和幸 アイ(所ノ者)山本東次郎
笛:一噌隆之 小鼓:大倉源次郎 大鼓:村瀬堤 地頭:松野恭憲
面:前シテ「曲見」(河内作) 後シテ「泥眼」(河内作)
京王線がトラブルで、お昼を食べる時間が取れず。でも、精神的には安定していた。ま、そんなこともあるや、位。
狂言『鬼瓦』。
相変わらず謎。どうして鬼瓦を見て、故郷の妻と似ているとして泣くのか。昔の鬼瓦は様子が違うかと思いきや、語りの内容では、眼がどうの、口が裂けているの、今と変わらないのだけど・・
能『定家』、3回目。
前回は、2022年12月に紀彰先生シテで。これがあまりに感動的だったので、この再現を期待していた。
前のブログを読んでください。
素晴らしい、奥伝の曲。3老女に次ぐ老女モノ。
出演者も最高。シテは金剛宗家人間国宝。小鼓は源次郎先生人間国宝。アイも狂言方人間国宝山本東次郎。その他、ワキの福王和幸さん、囃子方も名人級。
でも、どうして感動しないか。
式子は、内親王ってことは皇族。賀茂の斎院になって、終わってから静謐な生活を送ったらしい。色恋にはほど遠い。
藤原定家は、貴族ではあるが、身分は大きく違う。和歌が共通項。共に、新古今和歌集時代の名歌人。
そのお二人の悲恋物語。史実ではないようだけど。
後に入内する高子と在原業平。
本来は皇太后になるはずであった六条御息所と天皇の子ではあったが臣下となった光源氏。
同じ様な悲恋物語だけど、『定家』の場合は、シテには取り分けて品格、品位、和歌の才能、が求められるのじゃないかな。
前場で、幕内から「のうのう」と呼びかけるときから、あれ少し違うぞ、との違和感。下に居のまま語る時の、様子。前屈みになりすぎじゃないのか。
後場の序ノ舞。拍の音が響きすぎじゃないのかな。
な~んちゃって、そこまで見分ける能力は無いのですが、前回の紀彰師のシテがあまりに素晴らしくて、眼と記憶に焼き付いていて、ついつい比較してしまうのです。
ちょっと前Eテレ「古典芸能への招待」で金剛宗家の『葵上』の一部が上映されたのだけど、この時も、違和感を感じていた。仲間も同意見だった。ちょっと違うよなあ。
それと同じことが、今回の『定家』にも現れてしまったか。
体格が大きいのだけど、それをそのままで、小さく見せようというしていない。小さく見せると、肩をつぼめるばかりで、品格が失われる。その案配。
な~んて、偉そうに。
源次郎先生は、相変わらず格好良い。出の時の、小鼓や床几の持ち方、右手を腰に当てる仕草。
打つときの発声の良さ。
折角の曲や配役なのだから、勿体ない。
ちょっと残念な能会で。
帰りには、やけ食いのような感じで、もうまったく久しぶりに焼き肉とマッコリ。