6月8日(土) 国立能楽堂

解説 「放下僧ー禅と仇討ち 芸尽くし」 三浦裕子(武蔵野大教授)

狂言 『抜けから』 (和泉流 狂言共同社)

 シテ(太郎冠者)井上松次郎 アド(主)鹿島俊裕

(休憩)

能 『放下僧』 (喜多流)

 シテ(僧・小次郎の兄)大村定 ツレ(牧野小次郎)大島輝久

 ワキ(利根信俊)則久英志 アイ(利根の従者)奥津健太郎

 笛:森田保美 小鼓:曽和正博 大鼓:白坂信行 地頭:中村邦夫

 面:直面

 

国立能楽堂に向かう我が家近くで、鳥の声。コジュケイが大きな声。時鳥は今年初かも。

そんな季節。そんな環境。

 

解説は、疑問解消。

放下を”ほうげ”と読むと禅。”ほうか”と読むと芸能。なるほど。

 

狂言『ぬけから』、何回か。

酒に弱い太郎冠者の失敗談。アド主から買い物を頼まれるが、シテ太郎冠者は酒を飲まないと行かない。しこたま飲んで、大道で寝てしまう。後を追ってきたアド主に鬼の面(武悪だけど)を被せられて、自分が鬼になってしまったと驚いて、アド主に助けを求める。

ふと、鬼面が取れて、助かるが、鬼の面を指して「鬼のぬけからだ」と言うシテ太郎冠者。

だから、曲名が「ぬけから」なんだ。

アド主から叱られて、面目ないと言うシテ太郎冠者。飲み過ぎには注意しましょう。

 

能『放下僧』、3回目かな。観世ばかりで、喜多流は初めて。

仇討ちモノ。

親の敵ワキ利根信俊は、下野の国のモノので、仇討ちの場所は、金沢八景駅近くの瀬戸神社。前に訪れたことがあるが、その時は謡蹟であることなど露知らず。勿体ないことをした。

曾我兄弟の仇討ちも、まあこの辺りなので、坂東武者は荒っぽいのだ。

ツレ牧野小次郎の被る烏帽子は、左折れ。源氏ゆかりなのでしょう。

 

楽しみにしていた「小唄」、「面白の 花の都や 筆に書くとも 及ばじ~」、耳に馴染んだ観世の節と喜多流はほんの少しだけど異なって、あれ!?という感じ。

 

小唄中にワキの敵は切り戸口から退場してしまって、傘だけ残る。その傘を太刀で刺すなどして、仇討ち完了という事。

どぎつくなくて、良いね。

 

現代物で、直面だから、演者は大変。目付きが決まらないとね。シテの大村定さん。良かったですよ。謡も舞も、目付きも。

能らしい能ではないのが、不満と言えば不満だけど、そういう曲だから。謡う分には楽しい。

 

体調は良くなっている。

心無けいげ(漢字が出ない・・) 無けいげ故 無有恐怖

けいげとは、障りとでも言うか。それが心の中から無くなると、一切の恐怖から逃れられる。

ストレス解消は、ストレス源からの物理的回避だけでなく、心の中の心理的回避が重要。

 

酒は飲みたくないし、食欲も衰えているけど、料理の楽しみが復活。

国立能楽堂の帰りにスーパーに寄って買い物。自炊。良い感じ。