4月中旬の久良岐能舞台ミニ発表会で、それまで習っていた『高砂』を卒業して、謡は4月から『天鼓』へ。
我が紀彩の会は、グループレッスンであるため、曲目の決定は、合議による。
なんて法律家らしい表現だけど、10月の国立能楽堂定例公演で、紀彰師がシテの『天鼓』が上演されるので、それまでに習うと面白いんじゃないか、という発想。
4月の第1回お稽古までに全員分の謡本を用意してきて、第1回お稽古で「入れて」頂き、昨日のお稽古まで4回に分けて録音させて頂き、最後まで録音完了という経過。
『松風』でヨワ吟の、『高砂』でツヨ吟の難しさを学んだ後に、『天鼓』に進むと、なんだか、楽に謡えるような気がしてくる。
『天鼓』は、語りが多くて、節付けよりも、場面や感情を想定しての謡になり、新しい発見がある。
コトバが並ばないように。ここは悲しんでいるのだからそういう風に。等など・・感情移入ですね。場面を想像して。
移入できそうもない感情表現はどうするか。
ま、なんとか解釈するのですが、時代も違うし。
そんなときに6月6日、FM能楽堂で、観世流『野宮』がかかった。シテと地頭が紀彰師。
難しい名曲なのですけど、聴いていて感動してしまった。
源氏物語を理解していないと、解らない曲。解っていると、六条御息所の心象風景が見えてくる。見えてくるような謡い。
「火宅の門」との体言止めの珍しさ。
なんだか、元気を頂いて、一気に体調不良がすっ飛ぶような。
能は謡だなあ、と。
昨日のお稽古は、よく声も出たし、仕舞も上手く舞えた。
精神疾患の「妻源病」も、非接触治療の効果も出てきていたし、般若心経も心に浮かぶし、『野宮』で全治するか。
しんむけいげ むけいげこ むうくふ