先月20日、久良岐能舞台で、紀彩の会だけのミニ発表会で、『半蔀』クセをご披露して、一区切り。

さて、次は何を、と考えたが、引き続いて『半蔀』キリにしましょう。

 

ということで、お手本を久良岐能舞台で舞って頂く。

久良岐能舞台は、やや狭いので、舞いにくい面はあるが、なんと言っても正しい能舞台なので、正方形だし、目付柱もあるし、橋掛かりもあるし、床の檜張りがうれしい。足の滑りがまったく違う。

お手本は、やはりキチンとした能舞台で舞って頂き、録画して保存したい。

 

『半蔀』クセは、「一首を詠じおわします」と、何だか尻切れトンボで終わっていて、詞章の上でも、すぐに引き続いてキリとなる。

 

スタートは、「折りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見えし花の夕顔」から。

クセの最後で”詠じた一首”とは、この和歌。

 

「花の夕顔」「花の夕顔」と繰り返す詞章。

 

実際の「源氏物語」では、「折りてこそ」ではなくて「寄りてこそ」。折るのではなくて、寄る。

クセで、光源氏が、惟光に「あの花折れ」と宣って、それを聴いた女人(夕顔本人じゃないだろうが・・)が、白い扇にその花を折って差し上げた、とあり、「折る」がキーワードになっているから、「折りてこそ」と始まる。

 

ワキ僧に向かって「終の宿りは知らせもうしつ」「常には弔いおわしませと」。

もう夕顔は空しくなってしまっていて、幽霊が、僧に、最後の住まいはお知らせしていますよね、ずっと弔ってくださいね。

 

「木綿附けの鳥の音」「鐘も頻りに」

ゆうつけの鳥とは、朝を告げる鳥、鶏のこと。

その声も聞こえる。

朝を告げる鐘も頻りに聞こえてくる。

ああ、もう朝になってしまうのだ。幽霊は、朝には消える。

 

「明けぬ先にと 夕顔の宿り」「明けぬ先にと夕顔の宿りの」「また半蔀の内に入りて」「そのまま夢とぞなりにける」

夜が明ける前に、夕顔の住処である半蔀の屋に、消えるように入ってしまった。

その半蔀の屋は、お能では、橋掛かりにある。

 

クセもそうだけど、キリもとてもゆっくりで、優雅に舞わねばならぬ。

最後、半蔀の屋に入り込むときは、サッと目付柱に向かう。

 

クセからキリに続くと、そこに「序ノ舞」が入って、舞囃子になってしまう。

「序ノ舞」抜きで、クセ、キリと続けて舞えませんか、などと無理なことを言う。

それじゃあ、型付けとは違ってしまうのです。

 

5月の第1回のお稽古で舞ってみたが、ちょうどその頃からめまいが酷くなり、フラフラする。

最初に下に居から立ち上がるとき、最後に下に居に戻るときがダメだし、じっと動かずに立つことが難しい。

 

脳神経内科、耳鼻科を受診せねばならぬ。

酒も飲めないし、食欲もない。

『半蔀』キリ、お稽古できるかしら。

道順や、型はそう難しくないので、大丈夫なのだけど。