4月10日(水) 国立能楽堂

狂言 『二九十八』 (和泉流 三宅家)

 シテ(男)三宅右矩 アド(三宅近成)

(休憩)

能 『嵐山』 (喜多流)

 シテ(花守の翁 蔵王権現)粟谷明生 前ツレ(姥)谷友矩

 後ツレ(木守明神)狩野裕一 後ツレ(勝手明神)金子龍晟

 ワキ(勅使)福王和幸 アイ(末社ノ神)高澤祐介

 笛:槻宅聡 小鼓:観世新九郎 大鼓:柿原弘和 太鼓:前川光範

 地頭:長島茂

 面:前シテ「三光尉」 後シテ「大飛出」

   前ツレ「姥」 後ツレ「邯鄲男」 後ツレ「小面」

 

何だか寒い日。でも陽当たりは暖かい。

4月の国立能楽堂公演のチケットを、一日取り遅れたら、脇正面になってしまった。

 

狂言「二九十八」、2回目かな。

例の如く、清水の西門で会う女性を妻にする御宣託。西、というのは西方浄土関係かな。

なかなか和歌に秀でる女で、和歌で様々遣り取り。住まいを聞き、室町の春日町までわかる、何軒目か、と聞くと「ああ、にく」とだけで去ってしまう。

これが、算術と理解して、二九、十八で、十八軒目。

和歌も算術もできる女であったが、ずっと被っている被衣を取ると、あれまあ「乙」という例の展開。

知識教養はあるが、見栄は良くない女の婚姻事情。セクハラだけど。

 

能『嵐山』初見。

吉野から移植した嵐山の桜を愛でる。吉野の桜は神木で、木守明神、勝手明神に守られ、最後は蔵王権現まで登場して、愛で守る。

桜尽くし。舞台に出される一畳台にも桜の立木。丁度能楽堂入り口の広場の桜も満開。

前半は、謡ばかり。眠くなってしまう。

後場は、木守、勝手明神の相舞の中ノ舞。どちらかが男で、他方は女。それは面でも解る。冠でも解る。どっちかは解らなかった。

登場する蔵王権現は、舞わないが、迫力たっぷりの仕方。

ここで、権現様なんだね。源次郎先生の著作「能から紐解く日本史」をちょうど読み終わったところだから、何だかねえ。

神でも、仏でもなく、権現様。木守と勝手、蔵王権現は一体分身同体異名、とキリの詞章。和の国固有の考え。

 

前シテ、後シテ、前ツレ、後ツレ2名、計5個の面。狂言方も末社ノ神の面。面だらけ。

 

とにかく、桜を愛でて、祝言の能。