謡曲の詞章を読んで行くと、和歌の全部または一部の引用が多く、その和歌を知らないと意味を取りにくいと感じていた。
というか、その当時は、和歌の知識こそが教養であったのだから、和歌を踏まえた謡曲となるのだろう。
そんなことは後から解るのだけど。
そこで、どうやら古今和歌集、新古今和歌集、万葉集をお勉強せねばと思い始めた。
和漢朗詠集も。
あのような大部の和歌集を、端から読み進めることなど出来っこないから、辞書的に使用する和歌集解説本を手に入れるべきだろうと思い始める。
まずは、古今和歌集からの引用が多いから、古今和歌集の解説本を探す。
有名なのは、3つ。
岩波書店 新日本古典文学大系 5
小学館 新版日本古典文学全集 11
新潮社 新潮日本古典集成
いずれも大きいし、高いので、まずは3冊順繰りに図書館で借りてきて、チラチラ眺めて、せいぜい仮名序を読んでみる。古今和歌集仮名序からの引用も多く、これが紀貫之の作であることすら知らなかったんだ。
六歌仙も仮名序に書かれているのでした。
で、先日、やっと解説本を小学館の新版日本古典文学全集の11巻と決めて、入手した。
1994年10月の発行で、付録の月報9には、馬場あき子の「擬人感覚と序詞の詩性」と題する文章が掲載されていて、この月報が付いたままになっている古本かどうかも、購入決定の1つの動機になった。
先週届いて、チラチラと眺めているところ。古本と言っても、新刊書のよう。
和歌そのモノには通しで番号が付けられているから、謡曲集などで、その番号が解れば、古今和歌集を紐解くことが出来るという寸法。
ワタクシは、文化系ではあるが、法学という完全に論理の世界で生き続けてきたので、まさか和歌集を手に入れることになろうとは、ビックリポンの変化だね。
民法や憲法学、刑法の分厚い教科書を、廃業に際してすべて思い切って処分してしまったが、それ以来のハードカバーの分厚い本。
法学から和歌集へ。論理から情感へ。
さてさて、更に新古今和歌集や万葉集まで拡がってしまうかどうか。
ここで小学館の全集の一部を入手したから、新古今などを購入するにしても、小学館の全集にあるモノになる予感はある。
能楽の沼は深く、広い。