3月6日(水) 国立能楽堂

狂言 『鬼ヶ宿』 (大蔵流 茂山千五郎家)

 シテ(太郎)茂山逸平 アド(女)茂山千五郎

(休憩)

能 『志賀』 (宝生流)

 シテ(老翁 大伴黒主)佐野由於 ツレ(男)今井基 ワキ(臣下)御厨誠吾

 アイ(所の者)島田洋海

 笛:栗林祐輔 小鼓:幸正佳 大鼓:柿原光博 太鼓:梶谷英樹

 地頭:今井泰行

 面:前シテ「小尉」 後シテ「邯鄲男」

 

寒い、雨の日。あまり気分はあがらない。

この日は2曲とも初めてなので、頑張って行こう。

 

狂言『鬼ヶ宿』、初めてだけど、2020年2月に、横浜能楽堂の企画で「井伊直弼の作った能・狂言」というのがあって、そこで上演予定だったけど、コロナで中止していたのだ。そこで、多少お勉強はしていた。

横浜能楽堂は、掃部山公園に隣接して建っていて、井伊掃部頭直弼の立派な像が立っている。どうしてここに井伊大老の像が立っているのか不明だけど、横浜の港が近い、見通せるからかな。

 

印象としてかつて持っていたのは、井伊大老は攘夷に反対して強権を振るったので、水戸や、薩摩などの攘夷派から疎まれ、その後攘夷派(と称していた集団)が勝ってしまった為、最終的に井伊直弼は「ワルモノ」が定着してしまったのだろう。

時の最高権力者が、権力中枢の江戸城桜田門近くで、テロに遭って惨殺されるという、前代未聞の事件。

最終的には、尊皇かどうかに関わらず、富国強兵して攘夷する、侵略から守るという点では一致していたのだけど、歴史とはそういうモノなのですね。尊皇と内戦によって、文化の破壊が行われてしまった。タリバンの敦煌石窟仏像破壊など非難できませんぞ。

でも文化教養人の「ワルモノ」感だけが残ってしまって、残念なことです。

 

井伊直弼は、相当の文化人、教養人でした。彦根城に行ったことがあるのですが、埋木舎を作って隠遁生活していたのに、引っ張り出されてしまった。

その直弼が、千五郎家の為に作った狂言。大蔵流の番外編らしい。

様々な能や狂言、古典が盛り込まれている。教養人が故。

能「安達ヶ原」、源氏物語から「夕顔」、能「松虫」、狂言小舞「七つになる子」、能「法下僧」。

ストーリーより、こういう点が楽しい。

 

能『志賀』。これも初見。

古今和歌集で六歌仙の一人に取り上げられた大友(大伴)黒主がシテ。

古今和歌集の仮名序で、紀貫之に散々な評価を与えられていて、名前に”黒”が入っていて印象悪いし、能『草子洗(小町)』では万葉集を書き換えるという悪事で取り上げられたりで、本当に「ワルモノ」感たっぷり。

 

しかし、このお能では、志賀明神の神になっていて、和歌の徳が讃えられている。良かったね。

でも、この曲は、知らなかったのです。悪い印象が勝っていました。

 

お能自体は、前場が単調で、節も面白くなくて盛り上がらず、退屈。

後場での神舞は素晴らしかった。ここだけ。

なので、全体的に面白い能ではない。

 

もう一つ。大伴黒主にばかり気を取られていて、予習不足だったが、そもそも志賀山とはどこか。

世阿弥が桜の名所として「拾玉得花」で4箇所上げているのが、吉野、志賀、地主(清水)、嵐山。みんな、能に取り上げられていることになるが、本曲の「志賀山」は場所が不明だという。

三井寺の長等山かとも思ったけど、違うらしい。その近辺で、もう少し北方らしい。当時は、都から琵琶湖に至る道があったらしい。

詞章中のワキの道行では、音羽山を越えて、志賀の山越えで、湖の眺めの良さを謡っている。後場では、海越しに鏡山が見えるとも。

 

どうも、能の感想というより、大友(大伴)黒主や志賀山の研究になってしまった。

全部受け売りですよ。信用しては行けません。

最近の高等遊民、能楽中毒者は、理屈っぽくていけない。もっと素直に能を楽しめた時代もあったのだけど。

沼が深くて、脱出できそうもないし。

日本史、和歌にまで。