2月21日(水) 国立能楽堂
狂言 『節分』 (和泉流 三宅家)
シテ(鬼)三宅右矩 アド(女)三宅近成
(休憩)
能 『松風』・見留 (観世流 梅若会)
シテ(松風)梅若紀彰 ツレ(村雨)角当直隆 ワキ(旅僧)殿田謙吉
アイ(須磨の浦人)高澤祐介
笛:赤井啓三 小鼓:幸正昭 大鼓:原岡一之 地頭:山崎正道
面:シテ「若女」 ツレ「小面」
いやいや、この日を待っていました。
どうしてか胸がドキドキ、緊張する。紀彰師のシテ『松風』を拝見できるのに、どうして緊張しているか、我ながら不思議で、期待のあまりのドキドキではなくて、失敗しないで完了させて欲しいという、むしろ主催者側風のドキドキ。
待ち焦がれた紀彰師シテ『松風』なのです。この日のために、謡のお稽古は『松風』を希望してかなえて頂いてきた。
この経過は、昨年7月のブログにひっそり書いてある。実は、今回の紀彰師シテ『松風』に合わせて、無理をお願いして、『松風』のお稽古をしていただいたのです。
昨年12月末のミニ梅栄会でも、男女別の箇所だけど『松風』を連吟した。
お稽古仲間の一人は、仕舞も『松風』のキリをお稽古した。現在でも、別の仲間が『松風』キリを仕舞お稽古している。
だから、詞章は暗記はできていないモノの、舞台上で謡ってくだされば、同時に無本で口ずさむことが出来る。声は出さないけどね。
そこまで、お勉強してきて、期待してきて、楽しみに楽しみにしてきた、特別な能会なのです。
狂言『節分』4回目。
節分の夜に一人留守番のアド女、そこに蓬莱島から来たシテ鬼。散々に女を口説く。悪い気もしなかったのだろう、鬼を亭主気取りにさせて扱い、隠れ蓑、隠れ傘、打ち出の小槌を取り上げてしまい、最後は「鬼は外」と追い出す。
一瞬でも、アド女は心を動かされなかったか、という疑問はある。
面白い狂言なのだけど、申し訳ない、次の能『松風』にばかり気が行ってしまって、集中出来ず。早く終われ、と思う身勝手さ。ゴメンナサイ。
能『松風』5回目で、直前は2023年9月の梅若定式にて。5回中3回は梅若会でとなってしまっている。
殆どは、小書き「見留」付き。
ワキの名ノリや着き台詞、サシのあと、真ノ一声に乗って、橋掛かりからツレ、シテの順でゆっくり登場する。
その詞章「汐汲車 わづかなる 浮世に廻る はかなさよ」。
こことっても難しいのです。連吟したところ。
シテ松風の紀彰師は、橋掛かりの三ノ松より後方、幕の直前で立ち止まって、しっとりと謡う。一の松にいるツレ村雨とかなり離れている。そこで謡うのです。もうもう、それだけで感動してしまって、ウルウル。
上手だよなあ。間違えないもんな。120分に及ぶ大曲だけど、一箇所も詞章を間違えなかったよ。
所作にも狂いはない。きちっと、優雅に決める。美しい。
大体ずっと感動していたのだけど、取り分けて。
「月は一つ 影は二つ 三つ汐のよるの車に月を載せて 憂しとも思わぬ 汐路かンなや」
汐汲みの桶が2つあるから、月は1つでも、影は2つになるのですよ。この汐を汲む所作のなんたる優雅さ。
全部書かなくちゃならなくなるから、ちょっとだけ。
シテが物着をして、綺麗な装束に。遠目なので、柄は良く解らなかったが、綺麗。
それを着たシテ松風が、松を見て、狂う。
止めようとしたツレ村雨でも止められない。
松を行平と見込んでしまって、舞う。中ノ舞、破ノ舞、続くキリの舞。キリはお稽古したところ。一々の型に納得できる。
小書きの「見留」は、このときシテ松風が、正面先のやや手前に置かれた松の作り物をぐるっと回る。
あそこ狭いし、もし落ちてしまったらどうしようか、と、ここでもドキドキ。
紀彰師は、やや松に絡んでしまった。そのまま橋掛かりの一の松に移っていくときだったか、シテ柱に左腕が接触してしまう。
まあ良いのだ。
紀彰師は、その日の夜にパリに向けてフライトなのだ。寝不足なのだ。
終曲部。大ノリが平ノリに変わって、「今朝見れば 松風ばかりや 残るらん 松風ばかりや 残るらん」。
シテ、ツレの順で幕内に下がる。残ったのはワキのみ。
ワキも下がって、松の作り物も下げられ、地謡や囃子方が退場していく。それまで、見所は静まりかえっている。
良いぞ。この余韻。
満員の見所も、感動して、涙しているに違いない。
期待に違わず、素晴らしい舞台でした。
紀彰師は、間違いなくピカイチの役者。
もとより、ご健康ならば、地頭は梅若楼雪先生が務められたであろう。それを想像すると、チト残念ではある。
同行した友人も、これまで観たお能で一番良かった、と。
興奮冷めやらず、一杯飲んで、クールダウンしないと帰れない。