昨年末の、横浜能楽堂改修工事閉館前の「御稽古会」で、『夕顔』キリを舞納めて、今年からは、新曲でお稽古しましょうと。

 

さて何にするか、と思案の結果、夕顔繋がりで『半蔀』にしようかと。長そうだけど、クセにしようかな。

先生にお願いして、お許し頂いて、『半蔀』クセとする。

 

1月第一回のお稽古で、お手本を舞って頂いて録画した。

その日は、疲労もあって、眺めるだけで、ちっとも舞ってみず。

しばらく、横浜能楽堂第2舞台ともお別れで、放浪生活となる。

この日は、関内ホールの和室リハーサル室。

 

1月2回目のお稽古が先月末頃で、場所は、関内ホールのバレー用リハーサル室。

広くて、全面鏡張りで、それは良いのだけど、床が畳ではなく、リノリウム張りって言うのかしら、足袋が汚れるし、滑りにくい。舞の形の1つ「ネジル」が難しい。

上下に動くバレー用であって、滑るように前後左右に動くお能とは違う。

けど、例えば、薙刀を使う仕舞『巴』や『船弁慶』キリなどは、天井が高くて宜しいのです。

 

まあ、そこで、第一回のお稽古は、まったくダメ。詞章が理解できておらず、覚えてもいないから、型も道順も全然ダメ。

 

まもなく2回目のお稽古になるところ。

やっと、詞章を読み込んでいる。

 

「その頃源氏の 中将と聞こえしは」

この辺は解る。まだ光源氏が中将だった頃のこと。

 

「この夕顔の草枕 ただ仮伏しの 夜もすがら」

そうなんです。光源氏は、夕顔の君の宿に、突然に飛び込んで、関係してしまう、まだ若者。

 

「隣を聞けば 三吉野や 御嶽精進の 御声にて 南無当来導師 弥勒仏とぞ唱えける。」

これは、源氏物語にはなかったと思うのだけど、シテ夕顔(の亡霊)は、光る君と関係してしまうときに、来世のことを考えてもいたんだあ。夕顔もその当時は、何も解らずあれよあれよだったかも知れないけど、空しくなった後で考えれば、隣から聞こえたのは、奈良の金峰山に参拝する人が、事前に精進潔斎をするときのお経が聞こえてきたのだった。

当来導師イコール弥勒菩薩。来世の仏。

 

「今も尊きお供養に その時の思い出でられて そぞろに濡るる 袂かな」

ああ、あのときのお経は、良かったなあ、と涙にくれる。進行中の今は、亡霊です。

 

「猶それよりも 忘れぬは 源氏この宿を見初め給いしに 夕つ方 惟光を招き寄せ あの花折れと宣えば 白き扇のつま甚うこがしたりしに この花折りて参らする」

この辺りは、源氏物語。

惟光の館の隣、フト見ると、夕方だったので、(白い)花が咲いている。これが夕顔の花だったのですね。

惟光に折ってこいと命じたら、その館の主、つまり夕顔の君が、扇の端に香を炊き込めて、夕顔の花を献上した。

 

「源氏つくづくご覧じて」

それを光る君はじっと見て。

 

「うち渡す 遠方人に 問うとても それその花と答えずは 終に知らでもあるべきに」

ここで古今和歌集。「うち渡す 遠方人に もの申すわれ そのそこに 白く咲けるは 何の花ぞも」

1007番、雑体歌から。詠み人知らず。旋頭歌の1つ。旋頭歌とは、五七七 五七七の旋律の歌。

この当時の教養人はみんな知っているから、「うち渡す 遠方人に 問う」と来ると、ああ、白い花だな、と解るのでしょう。

夕顔の花とは答えずとも、最後には解る、という意味かな。

 

「契りのほどの うれしさ」

関係を持って、うれしかったのです、夕顔も。

 

「折々尋ね寄るならば 定めぬ蜑のこの宿の 主を誰と 白波の」

その後も何度か光る君は尋ねて来る。どうしてここで蜑の宿が出てくるか解らないけど、まあどこの、誰の宿とも解らないのに、ということでしょう。

 

「よるべの末を頼まんと 一首を詠じおわします」

これでクセはお終いです。何だか尻切れトンボ。

今後のことも考えて、一首を読んだ、と。

 

そして、すぐに詞章はキリに続く。

「折りてこそ それかとも見め たそがれに ほのぼの見えし 花の夕顔」

どうやらこれは「源氏物語」の作者、紫式部の作かな。

 

今までの経験では、仕舞はその詞章を理解できれば、大体それに沿った動きになるので、舞えるようになるのです。

暗記できなくちゃ、だけど。

それで道順と型がわかって、次に細部への心配りで、完成、合格となるはず。

この記事を書きながら、詞章の意味を考えているところです。

頑張りましょう。