1月27日(土) 三井記念美術館

 

東京都心の一等地にある三井本館、三井家の牙城と言って良いか。

隣は、三越本店。

三井本館の中にある三井記念美術館。

 

その存在すら、田舎者のワタクシには未知であったが、何かの宣伝で、能面と能装束の展覧会があると聞き、都心までえっちらおっちら出かけた。

途中、田園都市線の大混雑ラッシュに揉まれ、前にひっついて後ろ向きに立つ女子の、ワンレンのさらさら髪が空調に揺られて、我が鼻先をフラつき、邪魔で邪魔で。結構この時点で気が滅入ってきていたが、頑張って目的地に向かう。

 

凄いのですね。あの辺りの三井家の占有ぶり。旧財閥は、ホントに凄い。

 

展示室1は、室町時代の、重要文化財の能面がずらりと十三面並ぶ。伝春日作、伝赤鶴作、伝氷見作、など。

さすがに拝見していて重々しく、裏も見られるから、目や鼻、口の孔からも覗く。面の表面の美しさと、裏面の荒々しさ。実際に掛けられ利用されてきた歴史を感じる。

 

展示室2には、重要文化財の「孫次郎」がポツンと。小面系のモノだけど、伝孫次郎作で、早世した妻を偲んだ作品で、美しい。

これも室町時代。お土産にポストカードを買う。

 

展示室3は、茶道具。あまり趣味がないので、軽く拝見。

 

展示室4は、円山応挙作の国宝「雪松図屏風」が、中央にずでんと展示される。江戸時代作で、三井家の発注によって描かれたらしい。すげ~金持ち。

その両脇に、江戸時代、明治時代、大正時代の能装束が並ぶ。唐織、厚板唐織、厚板、縫箔。この区別は、今一ワタクシには解らないけど、刺繍の量で違うのかな、生地の厚さでも違うのかな。

いずれにしても、豪華、絢爛。一体作らせるのに幾らするんだろうか、などとゲスな考えばかり。表示されていなかったけど、三井家のお姫様達が、作らせたモノなんだろう。

現代では、注文する人がいても、折れる職人がいないのだろう。一両数百万円はするだろう。

 

展示室5には、これも重要文化財の能面十八。ここは裏からは拝見できない。

 

展示室6には、5の最後の2つと共に、楽器の、つまり小鼓、大鼓、太鼓、能管の展示。蒔絵模様が素晴らしいけど、普段の観能では観られないよね。

 

展示室7には、新・寄贈能面で橋岡一路作が二十二面と、同人が所蔵していた室町時代、桃山時代の能面三面。

橋岡さんは、現代の名人と言われる能面士。最近他界されたが、三井家に寄贈されたモノ。

 

三井家は、能の庇護者でもあって、取り分けて明治維新後は、相当な援助をしてきていて、それがなければ、能は廃れていたかも知れない。江戸時代までの、式楽として俸禄を得ていた能楽師、それが崩壊した後、旧公家家などと共に、大富豪商人らが支えたようだ。

 

特に、金剛家の年代の付いた能面は、1937年(昭和10年)頃に、三井家に伝わったようだ。

金剛家二十三世金剛右京は、困窮を極めた能楽界にあって、細々と演能を続けていたが、後継者に恵まれず、いよいよ、伝家の能面を三井家に譲り、金剛家は途絶えた。

それを、三井家は、「台所のお手伝いをした」と称したらしい。

そのときの能面が、今回、展示室1や2、5にて公開されている。

 

なお、金剛家は、もともと大和猿楽の坂戸座に発していて、ここで途絶えたのは坂戸金剛家というらしい。

翌年1938年頃、弟子筋の、野村金剛家の金剛巌が、他流派の承認も得て、金剛流宗家を継承することになったよう。現在は、26世金剛永謹。最近、人間国宝となった。

野村金剛家とも京都金剛家とも称されて、坂戸金剛家と区別されているらしい。

全部、言い伝えの孫引きですから、資料価値はない記述ですよ。

 

そんなことで、橋岡一路さんも、作成した名品などを、三井家に寄贈し、今回、展示室7で公開されているというわけ。

 

まあ、何という財閥系の三井家の資力よ。

ワタクシなど庶民の到底及ぶところではないし、庶民では支えられなかったのだろうし、もしかしたら、現代でも、お金持ちがお稽古などしないと能楽を支えられないのかも知れない。

文楽は殆ど国家支えだし、歌舞伎は松竹。能楽は、どうするか。

今は、クラウドファンディングなどを活用して、能面、能装束や、芸を継承保存し、発展させていくしかないか。

 

ワタクシは、微力ながら、年金生活者ではあっても、観世流の梅若家を応援していく。

お家の伝承は、芸の伝承ではあるが、同時に、能楽堂などの入れ物、面や装束などのブツの承継も必要。文化の継承。国家の文化政策。

 

と高尚なことを考えつつも、帰りには、神田の蕎麦「まつや」で、いつものように飲み、蕎麦を食う。14時過ぎていたけど、混雑。

これが楽しみで、あっち方面に出かける。