1月19日(金) 国立能楽堂

プレトーク 安藤貴康(シテ方観世流)

(休憩)

狂言 『梟山伏』 (和泉流 野村萬家)

 シテ(山伏)野村万之丞 アド(兄)吉住講 小アド(弟)上杉啓太

能 『巴』・替装束 (観世流 銕仙会)

 シテ(女 巴御前の霊)西村高夫 ワキ(従僧)則久英志 アイ(里人)河野裕基

 笛:八反田智子 小鼓:鳥山直也 大鼓:高野彰 地頭:観世銕之丞

 面:「増女」

 

ショーケースというのは、能の馴染みが少ない方を主たる対象としてコンパクト上演するもの。

が、今月は、国立能楽堂は、これしかチケットが取れなかったし、まあ『巴』も観たいし、ということ。

 

プレトークは、予定の15分が25分近くになってしまい、シテ方に喋らせるのは、喜正さんを除いて無理なのですよ。

 

狂言『梟山伏』、初めてですね。山伏モノは、数多いけど、初めて。

梟を殺したか、巣を落としたかして、梟に取り付かれた小アド弟。何とかしようとしたがダメなので、最後に、アド兄はシテ山伏に祈祷を依頼する。自信たっぷりに祈祷するが、ちっとも良くならないばかりか、アド兄まで取り付かれてしまい、最後には、シテ山伏まで取り付かれてしまうというストーリー。

山伏が能力がないと言うより、梟の力の方が強くて、皆負けてしまう、ということ。単に、山伏を馬鹿にするのではない。そこが目新しい。

梟は、神秘的霊力を持ち、幸運を呼ぶとでも考えられているか。梟の置物を頂いたこともあるし。不苦労、という当て字もあるようだ。

それを殺したので、梟の復讐。

 

休憩なしで、能『巴』、3回目になっているけど、まともに拝見したのは初めてかも。

ストーリーは、解りやすく、木曽義仲の最後と巴御前の関わりだし、仲間が仕舞で舞ったし、わかった気になっていたのでした。

以前、大津辺りをウロウロしたときに粟津が原(粟津の戦いの地)に行きたいと思い、行けなかった怨みはあった。そのときに、平家物語も読んでいたし。

 

巴御前は今井兼平の妹なんだね。最後の七騎になってしまうウチの2人は、兄妹か。

平家物語では、薄氷に脚を取られている時に射殺されたはず。アイ狂言でも討たれたとあるが、詞章では重傷後自害したことになっている。まあ、主題と違うから良いのだけど、気になってしまって。

 

仕舞は「かくて御前を立ち上がり」から「後ろも遙かに見えざりけり」までで、まあ、強い強い巴御前なのですが、仲間の仕舞のお稽古を見ている時に、薙刀扱いばかりに眼が行っていて、詞章を理解していなかったなあ、と反省。全体のストーリーの中の位置づけも理解不足でした。

というわけで、このシーンの舞はアレアレという間に過ぎてしまう。この曲の後場は、仕方語りが多くて、舞らしき所はこの近辺しかないのに。

 

小書き「替装束」も良く解らなかったが、どうやら終曲近くで、小袖を脱いで、白装束になり、傘に持ち替えて去って行くという「替」なのでした。裸になるということかしら。

 

ショーケースという短縮版でしたが、十分に楽しめた。省略した詞章の部分は紹介されていたし。ワキの道行、倶利伽羅峠の当たり、粟津の戦いの当たりが省略された。

 

国立能楽堂に、液晶パネルの表示があるのだけど、以前は、詞章がそのまま出るだけだったのに、ページを変えると現代語訳も出てくる。ショーケースだけなのかどうか不明だけど。まあ、あっち観たりこっち観たりして意味はよく理解できたけど、やはり七五調の文章の方が美しいと思うなあ。それを8泊で囃す。これが能でしょうと思う。