11月8日(水) 国立能楽堂

狂言 『岩橋』 (和泉流 野村万作の会)

 シテ(夫)高野和憲 アド(仲人)深田博治 小アド(妻)飯田豪

(休憩)

能 『雪』・雪踏之拍子 (金剛流)

 シテ(雪の精)豊嶋彌左衞門 ワキ(旅僧)野口能弘

 笛:森田保美 小鼓:大倉源次郎 大鼓:佃良勝 地頭:金剛永謹

 面:シテ「小面」(古元休 作)

 

立冬。まだ寒くはないが、空は秋の空で青々としている。国立能楽堂の外や、中庭はまだ紅葉していない。

金剛流だけど、初見の能なので、行く。

 

狂言『岩橋』、2回目かな。

結婚しても、衣を被ってばかりで顔を見せない妻。アド仲人に相談に行くシテ夫。和歌が好きだから呼びかけてみろと。2首、覚えられないけど、全部ひらかなで書いて貰って一生懸命読む。

その2首が、葛城と岩橋の歌。

でも、衣を取らないので、遂にシテ夫はアド妻の衣を無理矢理取る。すると、乙。

あらびっくり、世間に笑われると逃げ去るシテ夫、追うアド妻。いつものセクハラ。

何が主題なのか良く解らないが、葛城山と岩橋の説話を、笑って訴えたのかな。

まあまあ。

 

能『雪』、初めて。

ストーリーはあまりなくて、雪の精のシテが、廻雪の袖で舞う、盤渉序ノ舞が主眼か。

雪の精が、雪の上で舞うという設定なので、踏む拍が音がしないように、そっと踏む。ので静か。

舞も、ひたすら優美。優雅。謡も美しくて、ちっとも盛り上がったりしない。

シテの豊嶋彌左衞門さん、1939年生まれの84歳。年の割にはちゃんと舞うけど、やはりキリッと感はなく、眠気を誘う。

ということで、ひたすら良い気分になってしまって、夢心地。寝落ちする。良い気持ちの睡眠。

ああ良かった、という眠り。

そういう能もあっても良いな、とは思うのは経験によるか。もし初めて能を観た人がこの曲だとしたら、去って行くだろうな。

 

詞章の中に、和漢朗詠集からの「暁入梁王之苑 雪満群山 夜登ゆう公之楼 月明千里」が引用されていて、この漢詩は、往事人口に膾炙していたらしいので、観客は、ああ白銀の絶景ね、と思ったらしいが、現代では無理。

 

まったくの余談。学生時代に好きだった小説に「風立ちぬ」があった。堀辰雄の小説ですよ。スタジオジブリの漫画でもないし、松田聖子の歌でもないです。

風立ちぬ、いざ生きめやも。ポールバレリーですね。

Le vent se leve,il faut tenter de vivre.

都立高校の3年生だった頃、高校の予備校化に反対する雰囲気があって、ワタクシもそちらの推進派で、つまり左翼で、当時の英語教師が、特別授業でフランス語をちょっとだけ教えて、単位としたことがあった。

その教師が、実はフランス語が好きで、好きで、という方で、このバレリーの詩を、何も解らぬ高校生に教え込む、感極まったという表情で、詠み上げる。

それで私もフランス語が好きになって行った。そんな文学少年の時代もあったなあ。

風立ちぬ。

冬立つ、という連想で、そんなことをウトウト考えながら、能『雪』を観てました。