9月25日(月) 午前中

 

前日の丹波梅若能の後、しょぼい夕食を食べ、超しょぼい駅前のビジネスホテルに泊まり、一つしかない喫茶店でしょぼいモーニングを食べて、梅若家のルーツに行ってみようと、駅前でレンタサイクル。

 

何となく、前日の会場から、もう少し行ったところと言うイメージだけで、まともな検索もせず。

慣れない、Googleマップの位置検索を使ってみて、こっちの方向と定め、所要時間を探るが、あの所要時間は車でのドライブ用だったのか。

園部駅前からスタートで、自転車で、約一時間半。しかも、トラックなども通る府道19号線を、ひたすら走る。

70爺が、歩道もろくに無い道路端を、よたよた走る。身の危険も感じたよ。ここで跳ねられたら死ぬな、と。

 

ヒイヒイいいながら、やっとこさ曹源寺へ。

ここからは僥倖であった。

門の辺りを眺めていると、声をかけて下さった方が、曹源寺ご住職の西尾孝道さん。

園部駅前から自転車で来たことに驚かれ、まあ、よくぞ来られた、と。

前日の丹波梅若能にも参加されていたようで、最前列だったと。ワタクシは2列目だったので、お目にかかったかも知れず。

 

ご住職の車に乗せていただき、梅若家屋敷跡。いまは、狭い山道を通っていく。古井戸が発見されて、地元の方が独力で掘り返してあった。

その近辺は、地元の方有志が、ユンボで地ならしをして、なんとなく、屋敷跡の区割りが出来ている。

地元の方々は、もと梅若家だったことに誇りを持っているよう。公共事業ではなくして、自力で開発。

地図上ではその存在は示されていたが、とてもとても、ご住職にご案内していただけないと、たどり着けない。

 

次いで、梅若家の墓所。ここも分からなかっただろう。

 

曹源寺に戻って、奥様からもご接待など頂き、また自転車で帰らなくちゃならぬ。

 

園部駅に、ふらふらになって帰ってきたのが12時半頃。往復2時間半くらいは、サイクリングか。

 

梅若家は、大和猿楽でなくて、丹波猿楽。そのルーツが確かめられるお家は、梅若家くらいかも知れない。

 

園部は、以前は栄えた土地で、戦後も林業が栄えていた様だけど、現在は見る影もない。

丹波梅若能も、一度きりではなくて、定例的な開催が望まれるが、ホールの場所とかけ離れているし、食事処、宿泊施設などないから、関東圏からの参加は望めない。

京都から車で往復するのが関の山。

佐渡のように、地元の能楽堂もない。謡の文化も、細々と保存会のみ。

 

楼雪先生や、長左衛門さんは、何度も曹源寺を訪れていると。紀彰先生も家族で来られたことがあると。

慎也さんと呼んでいた。

勿体ないので、何とかしたいけど、なんともならない。

梅若でお能のお稽古をしているモノとしては、尚更何とかしたいけど。

なんとかならぬモノか。

ご住職には、紀彰師の素人弟子です、東京から来ましたと自己紹介してきた。