先週(1月22日日曜日の週)から、非常に寒くなって、特に私の住む地域は寒くて、私感的には生存可能温度を下回る。
東京都内とは言え、寒い地域であるだけでは無くて、我が家は北斜面に建っていて、前面道路には一日中陽が当たらず、氷の世界に閉じ込められてしまう。
一度は、給湯器が凍ってしまって朝から湯が出ず。狭いながらも裏=北斜面の家庭菜園は凍土と化す。
追い打ちをかけるように、光熱費の高騰が襲ってきて、わが長流水庵を快適なように温めると、家人の嫌みが酷くなり、耐えきれず、いきおい布団を被って寝てしまうことが増えていて、いわば、冬眠状態に陥ってしまった。
かといって、この間何もしないというわけでは無くして、ブログで紹介した日フィルの公演会と、紀彩の回のお稽古には出かけていて、それ以外に中心的に行ったことを記す。
第1に、この際にと歯の治療。
前立腺ガンの放射線治療中に、親知らずの被せモノが取れてしまい、痛みは出なかったけど、食べモノが詰まって仕方が無い。
放射線治療が済むまで待ち、後障がいも落ち着いてきたので、抜歯した。
案外簡単に抜歯できて、現在はその後の治療に通っている状態。
第2に、高等遊民の本来的目的の読書をいくつか集中的に。
辻居喬著「西行櫻」 岩波書店 2000年6月
辻居喬は、西部百貨店の社長であった堤清二のペンネーム。学生時代は日本共産党員で、50年問題の分裂時は所属していた東大細胞は国際派であった。おそらくその頃は、党委員長をしていた不破哲三(本名上田建二郎)や、副委員長であった、その実兄の上田耕一郎と同世代であろう。
こういう経歴から、以前から注目していた。
たまたま暇つぶしに入った図書館で発見した本。能にも詳しいのか、と手に取った。
能の「竹生島」「野宮」「通盛」「西行桜」を題名にあげて、能の曲からインスピレーションを得たかのような、フィクション。
あとがきには、「改めて謡曲集を読み直してみると、幻想と劇的要素が緊密な文学的空間を作っていて、屡々現代の小説よりもはるかに現代的な作品が並んでいることを今更のように発見した。」とある。
謡や仕舞をお稽古した形跡は無いから、文学として、謡曲を読んでいたのであろう。
そして後書きの最後。「その意味で私たちは、大きくて無尽蔵とも言える宝庫の前に立っているのだ。従来、私にとって日本文学の伝統というと、どうしても短歌的美意識、雪月花というふうに連想が働く場合が多かっただけれども、古典の中には、もうひとつの鉱脈、劇的、構成的でダイナミズムに富んだ鉱脈が走っているらしいのである。それはまだ私にとって朧げにしか見えていないのだけれども。」と結ぶ。
本書が、成功した小説かというとそうとも思えないけど、調度今、能の曲そのモノにハマりかけているワタクシにとって、刺激的な試みであった。
古典文学の伝統も、先の戦争によって途絶えてしまい、戦後は、西洋的な価値観ばかりが尊ばれ、やっと最近になって古典への回帰も観られるのではないか。
途絶えたのは、無能で野卑な軍閥どもの責任であるが、それを解放した米英ソという西洋文化に対する、無批判な歓迎にもあったのではないか。
これは、我が思想、行動遍歴にも該当する。
白洲正子著「西行」 新潮社 1988年10月
上記「西行桜」に刺激を受けて、戦後、西洋文化と伝統文化の端境にたち、双方を相克していったかの印象を持っている白洲正子。
観世流梅若で、謡仕舞のお稽古を積んだ、と。
白洲次郎との住まいであった「武相荘」も町田にあって、近いのだけど、まだ訪れたことが無い。やや西洋文化に染まりすぎの次郎に対して、正子は良い感じでは無かろうか。
西行法師に惹かれて、西行に関する著作を探したら、白洲正子著のモノがあって、図書館で予約した。
まだ読みかけであるけど、まだ数日ある冬眠中に、楽しみだ。
西行モノは膨らんでいきそうな予感がする。和歌の世界にも近づくか。
大倉源次郎著「大倉源次郎の能楽談義」 淡交社 2017年7月
ホントは「西行物語絵巻」を観たくて、相模原の図書館にあると思ったので、探しに行ったらば、絵巻は無くて、困って暇つぶしに偶然手に取った。
小鼓方大倉流の宗家で、人間国宝。
彼の関心は、結構神話の世界に入り込んでいることは知っていたが、改めて著作を読んでみると、なかなか実地検証的で興味を引く。すべて同意するわけでは無いけど、いや、結構反発する部分はあるけど、面白い。
図書館で殆ど読んでしまったが、ちょこっと残ったので借りだして、これも冬眠中の慰みにしましょう。
こんな、能楽舞台も無く、落語も無く、お稽古も間隔があり、酷く寒い時期の、高等遊民の過ごし方。