12月18日(日) 梅若能楽学院会館

連吟 『葛城』 富田雅子 鈴木矜子 伶以野陽子

仕舞 『浮舟』 山崎正道

   『実盛』キリ 松山隆雄

   『船弁慶』 川口晃平

     地頭:小田切康陽

一調 『山姥』 角当行雄 太鼓:金春惣右衛門

狂言 『千鳥』 (和泉流 野村万作の会)

 シテ(太郎冠者)野村萬斎 アド(主)野村裕基 小アド(酒屋)高野和憲

(休憩)

能 『定家』

 シテ(都女 式子内親王ノ霊)梅若紀彰 ワキ(旅僧)森常好

 アイ(都千本辺ノ者)石田幸雄

 笛:松田弘之 小鼓:田邊恭資 大鼓:亀井忠雄 地頭:梅若楼雪

 面:前シテ「若女」 後シテ「泥眼」(と思う)

 

今回の梅若定式能は、ひと味もふた味も違ったのだ。

最初の連吟から、舞台と見所がピリリとした緊張感に包まれる。というか演者の力の入れ具合が違うのでは無いかとすら思えた。

それは、結局、梅若楼雪師が、この日地頭として舞台に立ち、楽屋にもおられるということでは無かったのか。

梅若楼雪師の存在感が、演者に伝わり、その気迫などが見所にも伝わったのでは無いか。

 

なんと女流3人の連吟、あれ、上手じゃん、と。

 

仕舞の3曲。お三方、いずれも舞はキチンとしている。松山隆雄さんも、ご高齢ながらキチンと。だが、謡い方が古式なのか、ワタクシどもには聞き取れない。

 

太鼓と謡の一調。舞うのかと思ったら、舞わなかった。梅若会の大御所角当行雄さんの謡い。よろしかった。舞はチトキツいのかも知れないご体調。

 

狂言『千鳥』、記録上4回目。直近は、2022年4月の国立能楽堂定例公演。

萬斎シテの狂言は久しぶり。裕基くんも立派になって。

神事があるので酒を取ってこいと命じる主。酒代がたまっているので、無理だと思う太郎冠者だが、何とかしろと無理を言う。シテ太郎冠者は仕方ないから酒屋に行くが、渡してくれるはずが無い。今までの分も含めて、未払い状態で、今、酒代(米なのだが)が届くと言うが、なかなか届くはずが無い。嘘だから。というか、米が来ることは来るが、それで酒代にしてしまうと、食べる米が不足してしまうのだった。

届くまで、機嫌取りに面白い話を3つほどする。これでなんとか酒をせしめようというのだ。この部分の謡や舞が良く理解できない。だから、楽しめない。

最後は、ほとんど泥棒で酒樽をせしめる。

萬斎と裕基。

 

さてさて紀彰師シテの『定家』。2度目だが、なんてことだ、こんな素晴らしいお能だったのだ。わからなかった。今回、わかった気がする。

前回は、2019年8月、京都観世会。当時の梅若玄祥先生がシテの予定だったが、地頭予定だった片山九郎右衛門さんがシテ。

 

3老女と並ぶ、最奥の3番目。梅若謡本には「優雅、艶麗、哀愁という如き様々の特色を、殆ど極致となすべき最高峰まで充実せしめたる作」「品位においても深刻さにおいても、全3番目能に冠たるモノなり。」「老女モノは別として、第1に重しとす」「極度に充実せる平凡、これ無常の芸術境なり」だと。

しかし、これは曲の内容等のことであって、これを演ずる観点からすると、シテはもとより、ワキ、囃子方、地頭を筆頭とする地謡が、すべて一体とせねば、実現ならない。

これが、今回、実に実現したと思う。

 

前場で、ワキの名ノリ、着きセリフの後、前シテが、幕の内から「のうのう」と呼びかける。ここで、既にして、ビリビリした感じ。素晴らしい。ググッと舞台を集中させる。

前場は、前シテの動きは殆ど無く、座っているばかりだが、その座っているだけ、ただ座っているだけの存在感。ピクリともせず、タダ座る。只管打坐では無いが。これは大変だよね。

 

後場は、作り物に入って着替えた後シテが出てくる。「泥眼」の面だろう。

作り物の幕を引き下ろすと、定家葛に覆われている、絡められている式子内親王が中にいる。偲ぶ契の関係にありながら、死んでしまう式子内親王。彼女に対する藤原定家の執念が、葛となって、墓所を取り囲み閉じ込めている。

その墓所から、出てくるのだ。

そこで、序ノ舞。こんな序ノ舞は初めて観た。ゆっくりとした動き、しっかりと、キチンと、乱れない舞。型は特別なモノではないのだ。ゆっくり、しっかりしたサシがピタッと定位置に収まる。ゆるぎなく。凄い。こんな舞は、相当の身体能力と気迫が無ければ出来っこない。

続く、キリの舞。これも同様。難しいだろうなあ、と感嘆する。もの凄い疲労だろう。

作り物の墓を出入りする動きも。最後、墓に入って一旦下に居の型。そこから立ち上がるときだけ、ほんのちょっとだけ揺らいだ。もう無理無理。ワタクシなんて、仕舞の最初に立ち上がるときにすら揺らぐのに。

あんなに、激しくなく、ゆっくりと激しく舞を続けるのは。

 

地頭楼雪先生の素晴らしさ。良いお声だし、引くときの伸ばし方。舞台への出入りは困難で、若手に支えられてはいたが、一旦座ると、眼光鋭く見つめる様。謡い方。

楼雪先生の地頭なくしては、本舞台の成功はなかったと言っても過言ではない。

 

その他、囃子方も、ワキ方も一体となった芸術。見所も同様。

最後、後シテが橋掛かりを下がっていくときも、物音一つ立てられる状態ではない。

付き祝言があった。

これが終わって、地謡方が下がるときに、やっと、拍手。これで良い。素晴らしさに声もない。

 

紀彰先生は、今年の4月に3老女の『姥捨』のシテを務められた。このときの地頭も楼雪先生だった。1年に2回も最奥の曲のシテを舞われたのだ。

あのときも素晴らしかったが、今回も素晴らしい。思い出すと、感動の渦。眼が潤んでくる。

しかも紀彰師、今月は、『千手』『土蜘』『逆矛』『楠露』に続いて、5曲目のシテ。遠い曲が続く中で、最奥が最後の本日で。実に実に、お疲れ様なのです。

 

あれまあ、なんとしよう。お稽古頑張らなくちゃ。そんな紀彰師に教えて頂いているのだから。