12月7日(水) 国立能楽堂

狂言 『素襖落』 (大藏流 宗家?)

 シテ(太郎冠者)善竹彌五郎 アド(主)大藏彌太郎 アド(伯父)大藏吉次郎

(休憩)

能 『逆矛』・替装束・白頭 (観世流 梅若会)

 シテ(老人 瀧祭明神)梅若紀彰 前ツレ(宮人)谷本健吾

 後ツレ(天女)馬野正基 ワキ(朝臣)野口能弘 アイ(所の者)善竹隆司

 笛:杉信太朗 小鼓:観世新九郎 大鼓:國川純 太鼓:小寺真佐人 地頭:小早川修

 面:前シテ「小牛尉」 後シテ「天神」 後ツレ「小面」

 

午前中病院で、間に合うかと思ったが、軽くお昼も食べられて、間に合った。

 

狂言『素襖落』、記録上3回目だけど、もっと。

今回は、1950年生まれの大藏吉次郎72歳がアド伯父、1940年生まれの善竹彌五郎82歳がシテ太郎冠者。このお二人の掛け合い前半が素晴らしい。善竹彌五郎さんの声が小さくて聞き取りづらいけど、さすがの超ベテラン。自然体で、滞りなく自然に演じ、熟練、熟達の技とも言うべき。シテ太郎冠者の酔いっぷり。

それに声の大きな1974年生まれ大藏彌太郎がアド主で加わり、後半も自然体。

こういう『素襖落』は観たことがない。

良きかな。

 

能『逆矛』は初めて。なんと言っても、師匠梅若紀彰師のシテ。4日前に大阪で、紀彰師が、『千手』シテと『土蜘』後シテを演じられたのを観たばかり。わずか5日間で、シテ紀彰師のお能を3番も拝見できたのだ。

 

ストーリーは、日本国の草創、伊弉冉、伊弉諾の皇子やら、国を作る”矛”を逆さに立てる話とか、神話の世界。

滅多に出る曲では無いらしいし、観世流にしか無いらしい。それを、このお忙しい月に、紀彰先生、よくもまあ、詞章の暗記だけでは無く、舞の型や振り付けまで、キチンと覚えていらっしゃる。12月には、まだ、紀彰師のシテのお能があるのです。

前場は、語りが多いが、真ノ一声の後、橋掛かりを、前ツレの後にシテ紀彰師が登場すると、それだけで舞台が引き締まる。シテと前ツレの連吟のお声も素晴らしい。なんて上手なんだろう。

 

地謡は、地頭が交替になって、慣れていないためか、やや乱れる。

 

中入りで、前シテは宝の山の作り物の中に、入る。ここで着替えるのだ。後見が3人も。

後場は、後ツレの天女が登場して、優雅な天女ノ舞。

天女が、作り物の脇に控えると、その中から後シテ紀彰師が「そもそもこれは」と謡い出す。液晶画面では天女が謡うかのように見えたが、いやいや、あの声は紀彰師だ。作り物の中から謡っているのだ。

しばらくその謡が続き、地謡「柏手響く山の雲霧、晴れ行く日の光の如くに、天の御矛現れたりけり」で、幕が引き落とされると、後シテ紀彰師が、白い豪華な装束に包まれ、矛を手にして中に入っている。

なんとなんと、ワタクシの席からは調度目付柱の影。まったく見えず。でも、動きはわかる。

しばらくして、やっと外に立出でて、舞働。瀧祭明神の勇壮な舞。豪壮とはこのことなり。キチンと面を切って、動きも大きく、強く。踏む拍も、ピタリと音も良く。

続くキリの舞も素晴らしい。

満場の見所も、満足でしただろう。最後まで見所も気が緩まず。拍手のタイミングも良し。

 

紀彰師の謡と舞は、間違いなく天下一。弟子の欲目では無く。

よく研究されるよな。よく舞えるよな。謡えるよな。間違えずに。キチンと。ワタクシごときが生意気だけど。

素晴らしい。

満足の舞台でした。