12月3日(土) 大槻能楽堂

仕舞 『砧』 綿田登美枝 地謡:非発表

能 『千手』・郢曲之舞

 シテ(千手)梅若紀彰 ツレ(平重衡)梅若長左衛門

 ワキ(狩野介宗近)福王知登

 笛:赤井啓三 小鼓:清水皓佑 大鼓:山本哲也

 地謡:未発表、が、地頭は梅若猶義か。

(休憩)

仕舞 『菊慈童』 山崎正道

   『笠之段』 梅若猶義 地謡:非発表

狂言 『因幡堂』 (大蔵流 善竹家)

 シテ(夫)善竹彌五郎 アド(妻)小西玲央

(休憩)

能 『土蜘』・問答入・眷属出之伝

  前シテ(怪僧)赤瀬雅則 後シテ(土蜘の精)梅若紀彰(←楼雪から交替)

  後シテツレ(眷属)山中迓晶、川口晃平

  トモ(従者)小田切亮磨 トモ(胡蝶)井上須美子 トモ(頼光)山本博道

  ワキ(独武者)福王茂十郎 アイ(独武者の従者)善竹隆司

  笛:野口亮 小鼓:荒木健作 大鼓:守家由訓 太鼓:上田慎也

  地謡:未発表、が地頭は梅若長左衛門

 

機会があれば、大阪の大槻能楽堂には行ってみたかった。たまたま紀彰師がシテの能がかかるということで、片道新幹線1万5000円をかけて、出かける。追っかけ。勿体なくはない。

 

大槻能楽堂のある辺りは、あまり馴染みのある場所ではなかったが、大阪城の近くで、大きな国立病院や、難波宮の跡地公園などがあり、全体的に文教地域的な臭い。知っている大阪とは異質。

 

大槻能楽堂自体は、外側は近代的ビルで、トイレなどの施設も綺麗。能舞台は歴史のあるモノらしい。

 

始まりの仕舞は、女流のお年を召した方で、風格はあった。地割りは未発表で、訪ねたが、「無い」とのこと。後のお能も全部地割りは未発表。

この仕舞の地謡は4名出ておられた。1人若い女性が出ておられて、登場してきても、座る位置が解らないのか、かなり大きな、見所にまで聞こえる声で、地頭のおそらく赤瀬雅則さんから「ここだ」と向かって右端を指示されていた。

ちと、この辺で、違和感。あの女子、誰か。玄人かしら。

 

実は開演前も、客席で、おばちゃん達が大きな声で、堂々と食事しておられる。

舞台に緊張感が出ない。能楽にあまり親しんでいない客が多いのかな。ダンスウエストという会社が絡んだ企画のようだけど。

 

能『千手』3日目め。前回は、曲之舞という小書き共々、同じく梅若会の2022年4月。シテは山崎正道さんだった。

緊張感イマイチの会場だったけど、紀彰先生の登場、謡、舞で、まったく雰囲気が変わる。

ツレ重衡との相舞のイロエ、続く舞、すべて、教えて頂いたとおりの型で、素晴らしい。声も良く通る。

この地割りも未発表だったけど、前列中央のお二人は、女流。地謡に女流が交じると、迫力がどうしても落ちる。初同で、むむ、という感じ。

でもそれを凌駕し、押さえ込む紀彰先生の謡、舞。

わざわざ来て良かった。

ゆっくりシテが橋掛かりを下がっていく途中での拍手は、いただけない。

梅若会の謡本を買い、行きの新幹線の中では、習ってもいないのに、口パクで節付けしてみたりして。

良いよ~、梅若会は。「絶対」ではありません。習っているから、です。

 

休憩して、仕舞2曲。うち『菊慈童』は、習った仕舞と、ちょこっとだけ型が違った。「手折りふせ 手折りふせ」で、膝をつかなかった。こういう型もありなんだろうけど、ここは、習っているときに、右膝をつくか左膝かで失敗が多いところなので、見たかったなあ。

仕舞2曲以上のときは、最後の仕舞が終わって纏めて拍手というイメージだったけど、終わるとすぐ拍手は、どうなんかな。

 

そのまま狂言『因幡堂』、シテ夫の善竹彌五郎さんの声もやや大人しいし、アド妻のワワシさが大人しいこともあったけど、見所がまったく笑わないので、どうしたことかしら。大阪は、吉本のような大笑いが無いと喜劇として受け付けない文化か。

チラシの印刷が「困幡堂」になっていて、注意が行き届かないのかな。

京都のお狂言は、茂山家で、盛り上がるのに。

 

終了して会場がまだ暗いうちに、長左衛門さんが登場して、楼雪先生の不参加を詫びる。

本会は、”梅若楼雪拝号記念能”となっているからでしょう。

長左衛門さんが言うには、楼雪先生は、コロナに罹患してしまって、この日まで入院中だと。ダンスウエストの方達が、楼雪先生を期待していたのに申し訳ない、土蜘も面白い曲ですよ、などと。

会場入口に掲示があって「梅若楼雪 新型コロナによる隔離期間のため 出演が出来なくなりました。梅若紀彰が代演させていただきます。」

え~?、コロナだったん?

それに、普通代演する場合、掲示だけで、わざわざエクスキューズしないでしょう、なんか妙だなあ。

 

能『土蜘』、何度もだし、最初に習った謡だから、詞章も覚えている。

「問答入」の小書きは初めて。前シテ怪僧とトモ頼光が、五大明王などについて問答する。前シテの役割がかなり増える。

「眷属出之伝」小書きは、後シテが、作り物の塚から出て来なくても良いようにする小書きでは無かったか。だから、そもそも足腰がお悪い楼雪先生向きの小書き。独武者らと戦うのは、作り物のなかに入っている2名の赤頭眷属が出てきて。

そもそも、前シテと後シテを別の役者にする必要は無く、楼雪先生の登場を可能とするために選んだ小書きと、前・後のシテ交替なのじゃあなかったのかな。

楼雪先生不調により、代演ならば、前シテがそのまま後シテもやっても良いようだが、大阪の先生ではお稽古が不十分になってしまったか、所番の能『千手』のシテに続いて、紀彰師が後シテを務められる。

疲労しているだろうに、紀彰先生張り切られて、そんなに動き回らなくても良い後シテなのに、結構派手に動かれる。サービス精神が旺盛。

弟子としてはラッキーなのですが。

 

全体としては、わざわざ出かけたのに不満は無いどころか、紀彰先生をたっぷり観られて良かったのだけど、会場全体の雰囲気が異なっていたように感じた。

去年の10月3日、山形能で、紀彰先生シテの土蜘を観たのでした。