幾度か、ブログで仄めかしたのですが、小鼓(お能の)のお稽古を始めてしまった。

 

2月に見学に行って、その場で申し込んでしまって、これまでに3月2日、3月16日、4月6日の3回が済んだ。

稽古場は、ずっと横浜能楽堂の研修室。

 

教えていただくのは、小鼓方観世流の若い女性。

 

梅若紀彰師には、初回のお稽古日の直前に、この度小鼓を習うことにしましたと報告しただけでした。でもとても喜んでいただき、うれしそうでした。

師匠の紀彰師を通じて紹介していただくとかの手続を取るのが、この狭い世界のしきたりであるとのご指摘も受けたけど、もうその時点ではお稽古の入会を申し込んでいたので、後でのご報告という形。

後日、紀彰師と先生が楽屋で会った際には、お二人で何らかの話があったようです。

 

わずか、3回の感想。

教材は、多くの方が最初に学ばれるらしい『熊野』ロンギ。先生が、手付本(って、言うのかな)の『熊野』ロンギ部分をコピーしてきていただいて、それを見ながら、打ってみる。

勿論、最初は、カマエや打ち方の基本からだけど、そんなこと知らんから、その時点でもう頭は、エ、エ、エ状態。

 

最初の3行打ってみましょう、ということで、「みつじ」だという。漢字で「三地」と書くのです。

1行つまり、上の句7音と、下の句5音の七五調の詩句、その中で三つ打つから、三地とか。

しかも、8拍(表と裏で16拍)で打つのだから、割り振れるはずがない。

もはや、頭は大混乱。理屈では解っていたのに。

しかもしかも、ヤ声とハ声の掛け声というのかを掛けるのだが、観世流の場合は、ヨ、ホと発声し、打音の前後に割り振られる。

 

『熊野』ロンギは、既に素謡としては習っていて、詞章は暗記している箇所なので、それはできるのだけど、その詞章を頭の中で謡うと、打音や掛け声がズレる。

ここで、大々混乱。一旦ズレると修正できない。

 

2回目のお稽古で、4行目、「地蔵堂よと 伏し拝む」は、ツヅケという手付け。

これがお稽古中は当たり前だけど、終わってから自宅で練習しても、もう、まったく打てない。声も出ずにズレる。

 

この時点で、才能ないなあ、無理かなあ、と相当弱き。

だって、何回もこのたったの4行を打ってみても、毎回間違えるのだから。

 

まだ出来そうもなかったら、お稽古がストレスになるばかりで、趣味の楽しい世界になれないじゃん、と止めることも視野に入れて3回目。

「観音も 同座あり」は三地。正確には、「伏し拝む」の、むーと伸びる部分は、謡ではヤアの間という箇所は、この行の最初に含まれるから、伸びるところから三地。

「闡提救世(せんだいぐせ)」は、一ツトリ。

「のー 方便あらたに た」までが、ヒカエ。なんで、垂乳根がぶった切られるのか不明。

「らちねを 護り 給えや」が三地。この2行、ヒカエと三地は、繋がっているから、続けて謡って、手を打つのだけど、もう更に更に大混乱でしょ。

「げにや守りの 末すぐに」はツヅケ。もう習ったツヅケという手付けだと言われてもねえ。

 

ここまでの9行が出来れば、「熊野」ロンギの後の部分は、ほとんどがその繰り返しだと言うけど。

 

もはや、小鼓は、頭で、理屈で考えてもダメだ、ということが、理屈でわかった。無理なんですよ。頭で考えちゃ。まずは、身体で、リズムで体感させないと。

 

それだけでも、詞章は暗記しなくちゃだし、一番大切なコミをどこで取るかも暗記しなくちゃだし、どこで鼓を打つかも暗記しなくちゃだし、どこで掛け声を出すかも、ヤ声かハ声かも、暗記しなくちゃだから、暗記こそがお稽古かな、と。

この年齢に達して、そもそも記憶能力が落ちていて、自分でイライラするようになってきているのに、ここで暗記かよ~。

 

まあ、あと数回はお稽古してみて、『熊野』ロンギがまあまあ出来るようになれば続けるし、そのままストレスだらけならば、止めてしまえ、と思っている。

高等遊民の優雅な趣味の世界と、暗記のストレスは、相容れない。なんのための、お稽古なのか。

とも考える。

でも、先輩達に聞くと、最初は誰でもそう、練習していくと、どこかで、パッと開けるときが来る、それが良いのよ、らしい。

ワタクシより高齢のご婦人方がそういうのだから、そうなのだろうね~。

 

さてさて、どうなるか。いつまで続くか。