3月18日(金) 国立能楽堂
狂言 『鬼瓦』 (大藏流 山本東次郎家)
シテ(大名)山本東次郎 アド(太郎冠者)山本則重
(休憩)
能 『当麻』・二段返し (観世流 宗家)
シテ(化尼 中将姫)観世清和 ツレ(化女)坂口貴信 ワキ(旅僧)宝生欣哉
アイ(門前ノ者)山本泰太郎
笛:杉市和 小鼓:大倉源次郎 大鼓:國川純 太鼓:金春惣右衛門 地頭:梅若実
面:前シテ「姥」(石翁作) 後シテ「増」 ツレ「小面」(大和作)
狂言『鬼瓦』は、前回は2021年11月山本会で観ている。シテは同じく東次郎、アドは凜太郎だった。
今回、発表の配役としてはアド太郎冠者には則俊だったが、則重に交替。則俊さんはこのところ体調悪くしているか。
何度観ても、因幡堂の鬼瓦が地元の女房に似ているといって、主従共々懐かしがるというか、泣くのは、ムムム、ですね。
今回良く聞いてみると、地元の女房に似せて鬼瓦を作ったかのような台詞。シテ大名は、鬼瓦を見るのは初めてだから。太郎冠者を叱るときにそっくりだと。
最後は、例の狂言笑いを二人でして、お終い。もうすぐ会えるのだからおめでたいという訳。
安心の狂言。
能『当麻』、初見。
大変に重い、深い曲であった。120分を超える。
まず、中将姫の伝説なるモノを知らないと、なんのお話やら理解できぬ。
中将姫は、和国の3大美女の一人らしく、更に、当麻寺は、当時としては有名な大寺。その当麻寺の秘宝である曼荼羅を、中将姫が織った、という。中将姫は、色々あって、歳を経てから毎日念佛読経していると、そこに老尼が現れる。老尼が言うには、蓮の糸を編めと。それを染めて、中将姫が大曼荼羅を織り上げる。すると、老尼は阿弥陀如来に姿を変えて言うには、13年後に迎えに来ると。ご来迎ですね。
こういうお話を、前提として、皆様知っていたと言うことでしょう。
前シテは、化尼なのだけど、老尼なのです。
前場は大きく三つに分かれていて、まずは、南無阿弥陀仏の教え、次いで、当麻寺の謂われというか、名所教えみたいなモノ、最後に、中将姫の話。これが、ずっと、ほとんど動きのない謡でなされるので、大体眠くなるはず。
前シテ化尼とツレ化女揃った謡がピタリとしてズレず。地謡が初同すると、こちらも、優美な謡で、詞章は難しく、謡い方も難しそう。
シテの観世宗家は、立派に謡うし、地頭の梅若実もさすがに。隣に控える梅若紀彰も、上手というか、素晴らしいというか。
中入のために登場する山本泰太郎、何度観ても、気配を消すような出方なのだけど、美しいので、つい眼が行く。
後場は、後シテ中将姫の霊魂が登場するまで、「2段返し」という小書き、特殊囃子演奏。難しいし、体力も使うのだろう、4人の囃子方に、全員一人ずつ後見が控える。笛の後見、杉信さんだけど、付きっぱなしと言うのは初めて見た。
後シテの幕の出方も、まず、くるくると半分幕を巻き上げて、下ろす。ここで、後シテがちょこっと顔を覗かせるという演出もあるようだけど、見えなかったなあ。ついで、棹で上げて登場。これも劇的。左手に経巻を持って、冠を被って。
お経の文句を詞章にしたモノが、後シテと地謡の掛け合いで謡われるが、あんなモノをよく覚えられるなあ、間違えないで謡えるなあ、と。意味が解らないと、覚えられない。
そして早舞、とあるが、結構ゆったりとした、優雅な舞。御宗家、ご立派。見直したと言うのは失礼。さすが、観世の御宗家。
地頭の梅若実師。今回は、中入りで一度退場はしなかった。だが、それは難しかったのではなかろうか。4月9日(土)には、三老女の『姥捨』シテの予定だけど、大丈夫かしら。相当体調が悪いのではないか。倒れてもやる、とおっしゃっていたようだが、その期待半面、不安半面。どのような、『姥捨』になるのだろうか。
小鼓を習い始めたばかりで、源次郎先生の手元にも眼が行く。柔らかく打つのだなあ。良い音だなあ、と。実際に打ってみると、その難しさと、プロの手つきの素晴らしさに驚く。
シテやワキ、地謡だけではなくして、囃子方にも眼が行くので、忙しいのです。
全体として、重いというか、位が高いというか、難曲、大曲ですね。それを、それぞれの名人達がしっかりと役割を果たして。こういうのを、能の一期一会というのでしょうか。
高等遊民、能楽中毒者、そういう曲なのに、ちっとも眠くならず。
眠くならないのが、出来の良いお能のサインかな。
もっともっと、書きたいけど、長くなるので・・。