9月12日(日) 横浜能楽堂

狂言組 (和泉流 野村万作の会)

お話し 高野和憲

『狐塚』  シテ(太郎冠者)中村修一 アド(主)石田淡朗 小アド(次郎冠者)岡聡史

(休憩)

『宗論』  シテ(浄土僧)高野和憲 アド(法華僧)内藤連 小アド(宿屋)飯田豪

 

今回のユニットは、野村万作家の中の、野村家とは違った、若手のユニット。高野さんは、お目付役。しかし、その中でも、石田淡朗は格好いいし、姿形も良いし、良い思うな。野村裕基世代の中心になっていくと思う。

 

その高野さんのお話。なかなか為になった。冗談めかして喋るけど、後で、『宗論』の部分で書く予定だけど、ネタバレというか、ちゃんとオチまで教えてくれて、助かった。いつも配布される解説も今回は高野さんが書いたのだろうか。

 

『狐塚』、初めて。狐塚という地名にある田は、豊作なのに、鳥に荒らされて困るアド主は、シテ太郎冠者に鳥追いを命ずる。小心者のシテ太郎冠者は、狐がでると言うから嫌だと言うけど、あそこは地名だけで、狐は出ない、猪と猿は出る、といい、仕方なくシテ太郎冠者は、鳴子を持って田に出かける。明るい内は良かったけど、深月なのか、暗闇になると怖くて仕方が無い。心配して様子を見に来た小アド次郎冠者やアド主を、狐の化身だと思い込んでしまい、暗闇を探りながら進んでくる両名を、捕まえてしまう。シテ太郎冠者は、帰ってしまうが、遺された二人は互いを認識して、助け合って、解放されるという話し。

まあ、とにかく、シテ太郎冠者の臆病ぶりが面白いというか、優しい2人は簡単にしばられてしまう滑稽さ。

どんな心理劇なのかしら。不安に陥ると、誰でも、疑心暗鬼というか、それこそ柳が幽霊に見えると言うことだね。

初めての曲なので、若干の予習をして、丁度YouTubeもあったので、見てきていたからか、まだまだシテ太郎冠者の中村さんのオーラが無いのか、寝てしまった。

 

『宗論』は何回も。直近は、2021年1月の狂言堂、シテは茂山逸平。

段々と言葉の理解が進んでくるが、今回まで、肝心の宗論の部分が理解できなかった。今回の解説によると、法華僧が「五十展転随喜の功徳」を芋の茎の芋茎料理にかけて法問する。どうだ、と論争を仕掛ける訳ですね。対する浄土僧は「一念弥陀仏即滅無量罪」と食事の菜に例えた法問を繰り出す。

互いに、自己の宗門こそ、素晴らしいという論争。

翌朝になって、勤行をするときに、踊りまで加わるが、つい調子に乗って相手方の宗派の文言を使ってしまう。はっと思った両者は、仲良くなって、声を合わせて、「妙阿弥陀仏」と。合流した宗派。

いままでは、この宗論のやりとりがまったく理解が出来ず、眠くなったのが、初めてわかった。また、最後のオチもわかって良かった。

お能のように、狂言も、台詞というか詞章というかを、書面で公開してくれたらば良いのに、と思う。

そうすれば、毎度の『宗論』も、またか、にならない。

 

以下、狂言『宗論』とは無関係だけど、論争、ということで、学生時代の”イデト”を思い出した。“イデト”って、イデオロギー闘争の略だと思うけど。学生運動にも様々なセクトがあって、単に人間関係だけでセクトが決まるということはなくて、いろんな論争点がある。その論点に、どう自己の考えを持ち、また、他のセクトの異見に対してどう立ち向かうか、ということも、あまり学生運動したことが無いヒトにはわからないだろうけど、大切なことなのです。

例えば、国家独占資本主義をどう理解するか、軍隊を持たない絶対平和主義をどう見るか、実力武力闘争の評価、国家権力の構造・本質をどうみるか、党内の規律と自己実現、労働者階級の前衛論、などなど。

学生時代は、こんな地に足がついていない論争を、他セクトらとしていたのです。セクト内でも。

ま、チト宗論と似たところがあるなあ、と。

 

最近、志位共産党委員長が、「敵の出方論」という言葉を使ったことがあったが、コトバだけで、平和的手段による政権奪取はずっと変わらない本質だ、なんて言っていたけど、ウソでしょ。

国家権力は、資本家階級が握っていて、しかもその本質は武力だと分析していた。従って、黙って持っている武力を行使しないで、権力を明け渡すことなんて考えられないから、最終的に、資本家階級が労働者階級に権力を委譲するについて、自己崩壊してしまう等の特殊な状況にない限り、敵=資本家階級が握っている武力装置が発動されるのは明白なので、その敵に対抗するために、「敵の出方」によっては、武力を行使せざるを得ない、つまり、武力革命は避けられない。

一方で、武力闘争を公然と進める、新左翼諸党派との違いは、できるだけ、武力では無くして、民主主義的手法による革命を目指す、しかし、最終的には、敵の出方によって、武力行使もあり得るのだから、最後は銃を持つ覚悟と地下の体制は整えておく必要がある、ということだったはず。

東大闘争の時、民青(ってもわからないか。民主青年同盟。共産党の青年組織)の実力部隊が占拠していた教育学部から、機動隊導入の前夜に、一夜にして、一切の武装証拠を残さずに撤退した、手際の良さ。宮本顕治の直接現地指導による。

不破哲三が「人民的議会主義」なんて言い出したのは、70年代中盤に入ってから。その前の72年だったかな、早稲田大学法学部で、革マルを実力粉砕した民青の部隊。

結構、本質的発想の中で、「敵の出方論」があったのであって、コトバだけの問題では無かったはず。もし、それがコトバだけの問題であって、本当に暴力革命を完全に放棄していたのだとしたら、当時の党中央指導部は、一般党員や労働者国民、学生運動者を欺いていたのでしょう。それはそれで酷いことだ。

ボクは、共産党セクトに所属していたけど、共産党が権力を取るならば、銃を取って闘うと公言していたのですが。

ここらの体質に、共産党が、ここ40年間以上も、支持率を増やせない本質的な失敗がある。

いまだに、宮本顕治、不破哲三、志位和夫の指導部ラインのまま。「失敗の本質」は、共産党にこそ当てはまる。

 

な~んて、高等遊民とは完全にかけ離れた記述をしてしまった。いずれ、全面展開することがあるのかしら。